落語から影響を受けた名場面
――『我拶もん』には桐生をはじめ、魅力的なキャラクターが数多く登場します。人物造形はどのようにされたのですか。
神尾 桐生に関しては、さっき申し上げた、トップにいる人間ならではの傲慢さとか、他人の心の見えなさがあって、すんなりと形になったんです。桐生と相対するのが小弥太(こやた)。二人を真逆の位置に置いてどれくらい喧嘩してくれるかって考えました。私、いい歳してすごく人見知りなので、キャラクターを作る時にも相手になかなか近づけないんです。何となく様子を窺(うかが)って、どうしよう、どうしよう、みたいな感じで。
喬太郎 へえ。面白いですね。自分が創作した人物に対してもそうなんですか。
神尾 そうなんです。向こうも警戒するんでしょうね。「得体の知れない人がこっちをじろじろ見てる。嫌だわ」みたいな。
喬太郎 「俺のこと、こんなふうに書いてる人がいるよ」ってことですか?
神尾 はい。そんなふうに思ってしまうので、キャラクターが動き出すまでに時間がかかるんです。新人賞の選評を読んでいると、落選作について「誰がしゃべっているかがわかりにくい」という指摘をよく見かけるんですけど、やっぱり人物の書き分けって難しい。落語でも人物の語り分けに苦労なさいますか。
喬太郎 しますね。そうそう、神尾さんの『我拶もん』は誰がしゃべってるかがちゃんとわかるんですよ。桐生と龍太(りゅうた)、翔次(しょうじ)は同じ陸尺で歳も近いんだけど、どこか違う感じがあってわかりやすい。人物が生きてる。最後のほうで、十歳になったばかりの大工の末弟子が、桐生に内緒話をしますよね。あそこなんか目に浮かびましたね。好きだな、あのシーンは。
神尾 あの場面は落語を意識していました。「こしょこしょ(と囁(ささや)く)」という表現とか。それに私、落語に出てくる子どもがすごく好きなんです。生意気だったり、こすっからかったりもするんですけど。
喬太郎 あと、深川芸者の粧香(しょうか)って人が出てきますよね。昔、とある師匠に教わった文句を思い出しました。「婀娜(あだ)な深川、勇肌(いさみはだ)の神田、腹の悪いは飯田町」。深川芸者は色っぽくて粋なんですね。神田は勇ましい。飯田町、今の神楽坂ですが、あのあたりの芸者は人が悪いっつうんです。今の神楽坂の人たちは「そんなことないよ」って怒るでしょうけど。
神尾 婀娜な深川。その通りですね。男物の羽織を着て、年中素足でっていうイメージです。
喬太郎 あの男物の羽織っていうのは様子がいいですよね。
神尾 本当に。一度実際に見たことがあるんですけど、すごくかっこよくて。
喬太郎 『我拶もん』を拝読していて、最後のほうは「これを読み終わっちゃうと、桐生とか粧香とか、大工の親方の甚吉(じんきち)さん、あと、小太郎(こたろう)もとい小弥太たちにもう会えねえんだ」って思ったら、ふっと寂しくなりました。
神尾 そう言っていただけるとすごく嬉しいです。私も書き終わった時に泣いてしまいました。最後は二人で走って行ってしまったので。あーあっていう感じで。
喬太郎 そうですねえ。でも、あれ、その後の道中の話があるんじゃないのかなと思いましたけど。
神尾 そうなんですよ。ものすごく書きたい気持ちになりました。
喬太郎 それも面白いんじゃないかな。読んでみたいですね。
好きなものにギリギリまで寄せる
神尾 師匠がこれから創作落語でやってみたいジャンルとか、気になる題材はありますか。
喬太郎 等身大になってくんだろうなっていう気はしますね。自分が若い頃は、若者の恋愛物が多かったんですよね。
神尾 『純情日記』とか『すみれ荘』ですね。
喬太郎 そう。でも、中年になって『ハンバーグができるまで』ができて、僕ももう還暦を迎えましたので、同じような歳の人たちの噺を作りたいと思うし、きっとそうなっていくんだと思う。けど、その時に、前期高齢者を主役にするとこういう噺になるよね、っていうものじゃないものをどう作っていけるかですね。
あとは、『我拶もん』もそうですけど、実話を絡めて作るのも楽しいじゃないですか。僕にも古典落語を材料にした『本当は怖い松竹梅』っていう噺があるんです。探偵役のご隠居さんが古典落語の前座噺『松竹梅』の謎を解いていくミステリーです。完全に趣味の世界なので、お客さんにはごめんなさいなんですけど。
神尾 ぜひ聴いてみたいです。
喬太郎 作るのに苦労したんですけど、楽しいんですよね。神尾さんはどんなものに挑戦してみたいですか。
神尾 私はやっぱり江戸時代のお話を書きたいですね。できれば芸能にまつわるものを。大道芸とか、手妻(てづま)とかが大好きなので。いわゆる王道の時代小説とは違うものになってしまうかもしれませんが。
喬太郎 江戸時代の芸能には、神尾さんが小説にできる題材がいっぱいあるんじゃないですか。ご自分の書きたいものを書けばいいと思いますよ。自分の好きなものに寄せて、これ以上やると独り善がりだよねっていうギリギリまでやっちゃっていい。ギリギリだからこそお客さんが喜んでくれる。僕も落語家としてそんなふうにやっていきたいなって思ってます。
神尾 それが一番幸せですよね。私も自分が好きなものに寄せて、かつ読者の皆さんにも喜んでもらえるような小説を書ける作家を目指したいです。
「小説すばる」2024年3月号転載