恋愛ドラマの始まり
私が初めて空也上人像と出会ったのは、高校の修学旅行の時でした(恋愛ドラマの始まりみたいな書き方になってしまって、スミマセン)。歴史の資料集に載っていた写真を見て「面白い仏像を見に行くぞ~」くらいのテンションだったのに、いざ空也上人像を見上げた瞬間、稲妻に打たれたような気持ちになりました。
「なんてかっこいいんだ!」。空也上人像のあまりの必死さに胸を打たれたのでした。懸命に何かを唱えている痩せこけた頰と、ぽうっと虚空を見つめる目線、渋い、渋すぎる。見上げる角度を変えると、目の中の水晶がライトを反射してキラリと光るではないですか!泣いているのか?苦しいのか?
小さい仏像が口から出てきている様子が何より尊く意味の深いところ。頰が持ち上がって大きな声を出しているようです。首の筋まで動きが連動し、顎を上げた様子は「念仏が届いてほしい……」という切実で必死な気概が伝わってきます!六つの仏様が口から出ているのに違和感がない。説得力があります。
体もめっちゃ「く」の字に曲げて、立ち上がったばっかり、みたいなシワシワの衣。
さらに目線を下ろした時びっくりしたのが脚です。まるでマラソンランナー。砂埃がまとわりついているかのようなざらつき、雪駄はぼろぼろで足の指がはみ出るほど擦り切れている。まるで後づけされたような雪駄も、踵と一緒に一つの木から彫り出しているというから、彫刻のリアリティに目が離せなくなりました。こんな感動を、ものの数分で体にくらったわけですから、とんでもないことですよ。
この像を造ったのは運慶の四男康勝。なぜ300年近く経ってから空也像が彫られたのかははっきりしていません。父運慶は仏像に現実感を吹き込んだ天才です。康勝は、その運慶の一門の中で若い頃から鍛えられ、この空也像も割と若い段階で彫ったのは間違いないそうです。若い康勝が父に挑もうとする執念すら感じられます。
私の考察を語ってみると……、同じく鎌倉時代の空也上人像は全国に数点あるから、空也上人に対する信仰が盛り上がっていたのか?(でもみんな康勝の像より後)高僧の人物彫刻が増えた時代だったからか?父運慶の六波羅蜜寺地蔵菩薩の制作に影響されて自身の腕試しとして挑戦したのか?もしくは康勝が私と同じで強火の空也オタクだったか?(これが本当かも)
空也上人のすごいところは、これだけ新しいことをして影響力があったのに、宗派を作らなかったことです。空也上人の没後1年目には『空也誄』という人生エピソードが詰まった書物が編纂されますが、それ以外はない。だから、康勝の空也上人像なしに空也上人の生き様をこうも生き生きと理解するのは、無理だったと思います。康勝さん、あなたすごいよ。ありがとう。
何度訪れても感動しちゃうのも空也上人像のいいところ。また会えて良かったなという安堵する時も、励まされて私はもっと頑張らなきゃと思う時や、今までの自分を省みる時も。きっと「空也(からなり)」、空っぽだからこそ、どんな人とも繫がりあえる余地があって、拝む人のいろいろな心に寄り添ってくれるんだと思います。
今、世界中の皆さんは日夜多くの問題に直面しています。災害、疫病の蔓延、政治の混乱、戦が絶えない、という現代。1050年前の空也上人が人々のために祈った時代と状況が重なります。きっと、今の皆さんの心にも、響くものがあると思います。六波羅蜜寺を一度訪れていただきたいと強く願います。南無〜。
イラスト/書籍『みほとけの推しほとけ』より
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