言葉が溢れる世界は言語学にとっては革命的
──インターネット以降、SNSやYouTube、Podcastに至るまで、世界中で発生する言葉の量が格段に増えたと思うのですが、そのことについて水野さんはどう考えていますか?
水野 単純に、言葉が増えたことは望ましいなと思っています。テキストでも音声でも、言語学的に分析できるデータの量が増えるので、ありがたいなって。しかも、データなら検索をかけられるので、いつその言葉が発生して、普及していったとか、すぐわかる。さらに歴史的な視点で考えると、明治より以前に残された言葉の資料を研究しても、当時読み書きができた、極めて少数の母数しか集まらない。要は超インテリの言葉しか残ってないんです。でも今は、一般の人たちが使う日常語から、特定のコミュニティでしか使われない言葉まで、誰でもアクセスできるところへ大量に残るので、研究する立場から見ると、革命的なことなんです。あと、Podcastに関して言えば、方言でしゃべる番組が増えてほしいですね。
玉置 方言か、おもしろい視点ですね。
水野 玉置さんは八丈島のご出身なんですよね。八丈語はしゃべれますか?
玉置 いや、僕の世代はもう、全然しゃべれないんです。方言撲滅運動みたいなのもあって。僕らの祖父母の世代ぐらいが若い頃、東京に出稼ぎに行かなきゃいけなくて、そこで標準語も覚える必要があって、島の人たちも標準語で話すようになったんです。だから、ぎり僕の親世代くらいまでで、八丈島の言葉を話す人たちはいなくなりました。
水野 やはりそうですか。八丈語は、ユネスコが認定した「消滅の危機にある言語・方言」のうちのひとつなんですよね。
玉置 そうですね。方言の保存って、具体的にどう言語学に貢献するんですか。
水野 昔ながらの日本語の形を残している、という意味でも興味深いですし、前提として、標準語と比べた時に、方言が言語として劣っているということは決してありません。方言には独自の整合性やルールがきちんとあって、それを分析することは、言語の本質を探る意味でもかなりの資料的価値と意味があります。それに、撲滅運動の話が出ましたが、この先おそらく方言が増える可能性はなくて、減る一方です。世界的に見ても、日本は方言の調査を頑張ってはいるほうなんですが、それでも途絶える傾向にあるのは間違いない。
玉置 単純に地方の言葉というだけじゃなく、昔から使われている言語である、という側面が重要なんですね。
水野 まさに。例えば、奈良時代よりも前の日本語を復元しようと思った時に、方言の中に「こういう言い方がある」というのがわかると、想定できる候補を見つけられたりします。逆に、方言の中に見つからなければ、可能性を絞ることもできる。それはアクセントに関しても同様で。