悲しむことは生きること
そんな中、11月に一冊の本が送られてきました。いわき市出身の私は文化を通じて福島に寄り添うことを目的としたNPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」を立ち上げて活動してきたのですが、そのNPOの講師であり、娘についても時おり相談に乗ってもらっていた精神科医の、蟻塚亮二先生のご著書でした。
本のタイトルは『悲しむことは生きること』。この本の「はじめに」を読んだときに私は大きな感銘を覚えて考えを変えました。以下に記します。
「悲しむことは悲しみを一緒に悲しんでくれる人がいて可能になる。心が凍りついている時に、人は悲しんだり泣いたりすることができない。だから悲しむことの前提には人間に対する信頼感がある。それは見えなかった未来が見えることである。だから、『悲しむことは生きること』なのだ」
ハッとしました。今、ガザでは1万人もの子どもや、赤ちゃんまでも見殺しにされています。手足を失った人も大勢いて、私にはとても他人事には思えません。そうです。私たちは世界中でその悲しみを共有し、怒っています。
確かに悲しむことは人間への信頼感が前提にあるからできるのです。悲しむことが生きることならば、精一杯その生をつとめようと思いました。
事故から約3ヶ月間、夢中になって仕事に打ち込むことで、叫びたくなるような気持ちを抑えていた私は、その本に背中を押され、思い切って次女の大けがのことをフェイスブックの友人たちに報告したのでした。
書き出しはこうしました。
「お友達の皆さん、突然ですが次女(33歳)の報告をさせてください。3年前のお盆、3階からの落下事故で複数箇所骨折、排泄障害が残りながらもリハビリを経て歩けるようになった次女ミーのことです」
そして列車事故に遭ったことを伝えました。
「お友達の皆さん、ミーの悲しみを一緒に悲しんでもらえますか。そしていいね、や励ましの言葉をいただけたら、それが彼女の『心の支え』となってくれると思うのです。3年前、皆様からのメッセージを読む私の声を嬉しそうに聞いていたのと同じように。退院したら車椅子の生活を始めるミーに『見えなかった未来が見えてくる』といいな、と思っています」