お母さんが詰将棋の解答を代筆
ふみもと子供将棋教室で藤井はどんな成長を遂げたのだろう?
2007年の暮れ。まだ幼稚園年長の5歳だった藤井は4歳上のお兄ちゃんとともに、おばあさんの育子さんに連れられ、ふみもと子供将棋教室に現れた。
「初めて来た聡太はよく覚えています。紅くぷっくりとしたほっぺ。おでこがまるく、少し茶系の天然がかった少し長い髪をしていて、ぱっと見女の子と間違える感じでしたね」と文本氏。
だが、その5歳の少年がいきなり異才ぶりを示した。
「詰みの形はすでに理解していたと思います。1手詰を出題してもすぐに解いていきました。最初から手を読んだ。そう思います。
聡太は最初から週に3日。つまり全部の教室に通っていたのですが、毎日が驚きの連続でした。8枚落ち下手(駒を落とされる側)棒銀戦法の定跡も1回目のテストで合格しましたし、地味な定跡学習を嫌がるということは全然なかったですね。
2、3回見て、これはこれまで見た子たちとは違うぞと思いました。初めて知る棋譜の符号、定跡、囲い、戦法、次の1手、詰将棋など、初めてづくしのことにぶつかり、好奇心いっぱいでどんどん好きになっていったようです。本当に水を得た魚のようでした」と文本氏は振り返る。
ふみもと子供将棋教室では、生徒に与えられる課題が毎日ある。先に述べた「定跡書の暗記」と「詰将棋」がその中心だ。
まだ幼稚園生だった藤井少年には一つの難関があった。それは、漢字を読んだり書いたりできないことだ。
将棋の棋譜は、「☗7六歩☖3四歩☗2六歩☖3三角☗同角成☖同桂☗2五歩」といったように、洋数字と漢数字、そして、駒とその動きを示す漢字の組み合わせで表現される。
藤井少年はまず、棋譜を見て駒の動きを盤上で示すことを覚えた。これで将棋の本の内容が半分はわかる。だが、漢字を書くのはなかなか難しい。
「詰将棋を教えると、3手詰からはじめて5手、7手、9手とどんどん進んでいく。1年で11手詰まで進んだのかな。成長がとっても早いし、読む力が最初からあった。私も長く将棋教室をやっていますが、あんな子どもは初めて見た。とんでもない子だと思った」と文本氏。
詰将棋が解けたら、答えを書く。それを先生がチェックして「合格」となるのだが、まだ幼稚園生だった藤井少年は頭の中で答えが出ても、それを書くことができなかった。それで育子さんに代わり、母親の裕子さんが付き添って、聡太が言う解答を書いて出すことになった。
「最初の1年くらいかなあ。お母さんが付き添って詰将棋の答えを代わりに書いてあげていました。お母さんがそばにいるので、一度聡太が授業中に甘えてお母さんの膝の上に頭を乗せて『ゴロにゃ~ん』をしたことがある。
それで、『聡太、聡太、ゴロにゃ~んしてると将棋がうまくならんぞ』と言ったことがあります。後にも先にもそれ一回きりだったと思います。それ以後は、やらなくなりましたね。授業後のプロレスまでは集中していた感じです」と文本氏は笑顔で話す。
モノクロ写真・棋譜/書籍『【増補改訂版】藤井聡太の軌跡 愛知の少年はいかにして八冠になったか (マイナビ新書)』より
カラー写真/shutterstock
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