ヤンチャだった藤井八冠の小学生時代
祖母が5歳の藤井八冠に「スタディ将棋」をやらせたことが、彼と将棋の出会いだった。
将棋ライターの松本博文氏はこう語る。
「祖母の話によれば、ほかの孫たちのなかでももっとも夢中になったのが藤井さんだったそうです。最初は祖母に勝てるようになり、6歳になったころには祖父にも勝つようになった。
本人も話していますが、とにかく『勝つのがうれしかった』と。この勝つうれしさが藤井さんを強くさせたと言ってもいいと思います。
幼稚園で作った6歳の誕生日お祝いの飾りには、『おおきくなったらしょうぎのめいじんになりたいです』と書いています」
当時、母の裕子さんは息子が祖父母の家で将棋に夢中になっている姿を、さほど見ていたわけではなかった。だが、祖母からの「もっとやらせてあげたらいい」というアドバイスがあったこと、さらに自宅から自転車で通える距離に将棋教室があったことで、藤井八冠は本格的に将棋を始めることになる。
「ふみもと子供将棋教室に通うようになった藤井さんは、最初から無敵だったわけじゃなかった。小さな教室のなかにもライバルがいて、よく負かされていて、そのたびに泣いていたそうです。
とはいえ、参加した将棋合宿では、詰将棋のプリントをたくさん解きながら、『考えすぎて頭が割れそう』なんて言っていたらしく、6歳の幼稚園児がそこまで考え詰めることなんて、そうそうないと思います」(松本氏)
やがて本人が希望したこともあり、小学1年生の3月に東海研修会に入会し、小学4年生の9月に奨励会に入るまでの3年半ほど所属していた。
東海研修会元幹事で日本将棋連盟公認の棋道師範の竹内努氏(66)は当時の藤井八冠の印象について、こう話す。
「今はすらっとしていますが、当時はまるで違っていて、ぽっちゃりした小柄な子でした。
次男ということもあってか、ちょっとやんちゃな感じで、じっとおとなしくしているような子ではなかったです。
対局と対局の合間は時間があるので暇を持て余したのか、机に向かって仕事をしている私の足の間から飛び出てきて邪魔してきたりするような子でしたね(笑)」