旅館休業が続く現状では朝市復活は不可能に近い
橋本さんは東京での会社員時代、輪島産の塩を知人からもらったことがきっかけで脱サラ。輪島市内で製塩工場を営む中道肇(66)さんに「私のために塩を作ってください」と直談判して「わじまの海塩」の製造・販売する会社を起業した。そして、2016年11月に輪島市へ移住したことを機に食堂「のと×能登」をオープンした。
「食堂といっても、お客さんが朝市で買った干物や鮮魚を調理して、それをご飯とあら汁のセットにして提供するスタイル。生のカニだって持ち込んでくれたら、『わじまの海塩』で茹でてましたよ。あとは私が、朝市のおばちゃんたちから仕入れたお刺身や干物を定食セットとして出してもいました。
お客さんにはウケてたんですけど、コロナ禍で客足はかなり減りました。その後、ようやく輪島の朝市が再び盛り上がり始めたときだったのに、こんなことになってしまって……本当に無念でしかないです」
橋本さんによれば、朝市通りを訪れる観光客は七尾市にある「和倉温泉」の宿泊客が多いため、温泉旅館の休業が続く今、朝市が復活するのは不可能に近いという。
「地震直後、私は東京から輪島朝市組合のLINEグループに『今日○○のガソリンスタンドが再開したよ』とか『○○の銀行ATMはやってるみたいよ』といった情報を流して、市場のみなさんを励ましてたんです。
でも、もう元のような日常が戻らないことを知り……。朝市のおばちゃんたちから『また輪島で朝市やりたいね』というLINEが届いたときはとても複雑でした」
輪島朝市の歴史は古く、奈良時代後期か平安時代はじめがその起源とされる。現在の朝市の組合員は190人に上り、そのすべての商店主たちが大規模火災により店を失った。
親子二代にわたって輪島朝市で商売をしていた道下睦美(57)さんもその1人。干しダコ等、海産物を扱っていた露店の跡地に残ったのは露店と地面を繋げていた留め具のみ。住居も焼けてしまい、現在は海産物の加工場にいたり、車中泊をしながら避難生活を送っている。
「母は朝市で手作りのわら人形を作っていて、私も小学生のころから朝市によくお使いに行ってました。
あるお店で卵を買うと新聞紙でクルッて包んでくれるその仕草が好きで、卵のお使いがいつも楽しみだった思い出があります。
私が朝市に立つようになって20年が経ちますが、忙しいときはお客さんと話して、暇なら朝市の仲よしメンバーと話す……いつもにぎやかで本当にここの雰囲気が大好きでした。(焼けた跡を見つめて)これ、どうなるんだろうね。みんなこの朝市の状況を見たら泣くと思うわ……」