平野レミさんとの生放送がコワかった

時間を少し戻そう。『土曜ワイド』のリポーター時代、それと並行して、ラジオ番組『それ行け!歌謡曲』の中で、月曜から金曜までスーパーマーケットや商店街から公開生放送をする「ミュージックキャラバン」というコーナーを担当することになった。

スーパーマーケットに買い物に来たお客さんを前に、ジュークボックスから出てくる曲の歌手が男か女かを当てるというシンプルなクイズで、コンビを組んだ平野レミさんが叫ぶ「男が出るか~、女が出るか~」のフレーズは流行語になった。

レミさんは底抜けに明るいキャラとハイテンション、自由奔放というか天衣無縫というか、放送禁止用語なんて頭の片隅にもなく、思ったら口にする。世の中にこんな人がいるのかと思ったほど彼女との生放送はコワかった。

番組スポンサーは食品会社だった。クイズに当たった人には、その会社の缶詰をプレゼントするのだが、彼女が無邪気に聞いてきた。

「久米さん、この缶詰の中身にベトコンの肉が入ってるってホント~?」

当時はベトナム戦争のまっただなか。米軍に徹底抗戦したベトナム・ゲリラ兵の肉が缶詰に……。生放送である。このときは思わず持っていたマイクで彼女の頭を叩いて、足を蹴とばして、とりあえず黙らせるほかなかった。

“隠しカメラ”をしこんで風俗店に潜入、平野レミの放送事故ギリギリワードに蹴り… “番組つぶしの久米”と呼ばれた久米宏・熱血時代_3
ベトナム戦争 写真/Shutterstock.

のちに「歩く放送事故」の異名を取るようになる彼女は、これ以来、僕に「これ、言っていい?」と目で確認を求めるようになった。何を言い出すかわからないから、こちらは彼女の目からいっときも目を離せない。そうなってくると、目を見るだけで彼女が何を考えているか、次に何を言おうとしているかわかってくるから不思議だ。

放送事故ギリギリのスリルは、その後、横山やすしさんとの『久米宏のTVスクランブル』でも、より濃厚に味わうことになる。

余談となるが、麻雀仲間だったイラストレーターの和田誠さんから、「彼女と結婚したいから紹介してくれ」と頼まれたことがあった。

レミさんの声に一目ぼれしたそうだ。数々のトラウマを抱えた僕はすかさず、「あの人だけはやめたほうがいいです。人生を棒に振りますよ」と取り合わなかった。すると、前述のディレクター橋本隆さんに頼み込んだらしい。出会って1週間で二人は結婚することになり、おしどり夫婦として知られるようになった。僕はまったく立場を失った。

1週間出ずっぱりで露出が増えた僕は、林美雄、小島 一慶と3人で「TBS若手三羽ガラス」と呼ばれるようになった。その勢いでテレビの仕事も始めることになる。しかし4年間はことごとくうまくいかなかった。

鈴木治彦さんがメイン司会者だった早朝の生放送『モーニングジャンボ』では低血圧がたたった。ちょうどそのころからCMがコンピューターで何時何分何秒という定刻に入るようになった。すると、しゃべっている間にCMになったり、「また来週」と言ってから数秒も空いたり。「低血圧だからダメなんだ。お酒を飲んで出演してみよう」と一度ワインを一口飲んで臨んだら、よけいボロボロになった。

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のちに担当することになる『ニュースステーション』記者会見  写真/共同通信

カルーセル麻紀さんとの深夜放送は想像を絶する下ネタ番組で、「親戚も大勢見ているので、サングラスをかけさせてくれ」と頼み込んだほどだった。和田アキ子さんとの歌謡番組も長くは続かなかった。収穫は和田さんのハイヒールが僕の足のサイズとぴったりだとわかったことぐらいだった。

芹洋子さん、岡崎友紀さんとも組んだ。久世光彦さん演出のドラマにも、生放送でその日のニュースを読むチョイ役で出演したものの、やっぱりダメだった。

顔は笑っていても、いつも背中は汗びっしょりで、膝はガタガタ震えて思い通りにできたことなど一度もなかった。関わる番組という番組が次々につぶれていく。僕はいつの間にか「番組つぶしの久米」「玉砕の久米」と呼ばれるようになった。