「なんでそれくらいの言葉で?」あまりにも激昂してしまう人が抱えている慢性的な敵意とは。自分に自信がない人ほど、否定的に物事を捉えてしまうカラクリ
人が怒りを感じるのは自然な感情であり、ときには行動の適切なモチベーションになることもあるだろう。だが、あまりにも激昂してしまう人は、自分の心にも原因がないか探ってみたほうがよさそうだ。『「人生、こんなはずじゃなかった」の嘆き』より、相手の言葉以上に深く受け取ってしまっていることがないか、自分の心を見つめ直すための思考法を一部抜粋して紹介する。
「人生、こんなはずじゃなかった」の嘆き #2
常に自分に対する否定的な態度がある
些細な一言で深く落ち込んでしまうのは、もともと自分が自分に対して否定的な態度をとっているからである。相手のその一言で自分の価値を全否定されたような気持ちになる。
言葉そのものは、まさにその人のある部分を否定したに過ぎない。
例えば「あなたの、その食べ方が気に入らない」ということにしか過ぎない。あるいはフォークの使い方がおかしいのではないかという言い方である。
しかし自己蔑視している人やナルシシストは、その言葉で自分の存在そのもの、自分の価値そのものを否定されたように感じてしまう。
したがって人の何気ない言葉に深く傷ついたときに、必死になって怒りを抑えても、それでその人の心の問題は解決しない。
傷ついたときに、いかに自分が自分に対して否定的な態度をとっていたかということに気がつき、それを改めることが問題解決には重要である。
自分に対する自分の態度を改めないで、必死で怒りを抑えて生活をしても消耗するだけである。表面的にことは収まっていっても、心理的な問題は未解決のまま残る。
自己蔑視している人は、相手の言うことが自分の価値を否定したと受け取ってしまう。
相手にはそのつもりはない。
自分の側に、常に自分に対する否定的な態度があるから、相手の態度や言葉が自分の価値を否定したと受け取ってしまう。
外化(自分の理想を相手に反映しようとすること)であり、動機混同(相手の行動の動機を自分の動機と混同すること)である。
心に傷を持つと、どうしても自分が自分に対して否定的な態度になってしまう。
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#1 完全ではない自分を受け入れる思考法
#3 過去の成功にすがることで見失ってしまう幸せ
「人生、こんなはずじゃなかった」の嘆き (幻冬舎新書)
加藤諦三
2023年11月29日
1034円
224ページ
ISBN:978-4344987128
「老いても幼稚な人」「晩節を汚す人」にはなりたくない!
「我が人生に悔いなし」と言える人と言えない人、どこが違うのか?
――老いと成熟の心理学
自分の人生はもっと幸せなはずだったのに、と嘆く老人は多い。最後に「我が人生に悔いなし」と言えるかどうかは、どれだけの社会的成功を手にしたかで決まるのではない。
勝ち組人生を送ってきた人でも、いつまでも自分が「すごい人間だ」と思い込んでいたら「裸の王様」になって孤立し、不満と後悔のうちに死んでいくことになる。
人生を最後まで生き抜くのは大変な難事である。普通の暮らしに感謝する。他者との比較をやめ、執着しない――。人生の見方を変え、老いを輝かせて幸福を引き寄せる、高齢者とその家族必読の書。
「老いを認められる人」は若い!
●恨みで一生を終えるのですか
●失敗は人生を意味あるものにする
●老化に失敗すると孤独になる
●老いてなお生きるのは恥ずかしいのか?
●高齢者は本来幸せで、健康で、活動的である
●「英雄末路哀れなり」の意味
●なんであんなことで、あんなに怒るのか?
●過去の成功に頼る人は行き詰まる
●完璧な健康を求めてはいけない
●幸せな人は不幸を受け入れている ……ほか