子供の人生を支配しようとする“毒母”というテーマ
ボーの母親であるモナ役はベテラン女優パティ・ルポーンが演じているが、この母親の存在を軸に物語を考えてみると、実は母親による支配の中でもがき苦しみ、精神に変調をきたして現実と妄想の区別がつかなくなったボーのみに見えている世界のようにも思えてくる。
こういった子供を支配しようとする“毒母”というのは、古くは大女優グロリア・スワンソンの娘が出版した暴露本に基づいた『愛と憎しみの伝説』(1981)から、最近では長澤まさみがお金のために息子を使って両親(息子にとっては祖父母)を殺させる役を熱演した『MOTHET/マザー』(2020)まで、多くの映画のテーマになってきた。
また、経済的に圧倒的に優位な立場から、すでに中年になった息子の人生に対していつまでも干渉する母親と、次第に現実と妄想の区別がつかなくなる主人公ということだと、テリー・ギリアム監督がジョージ・オーウェル的なディストピア世界を描いた怪作『未来世紀ブラジル』(1985)が、まさしくそうで、本作に最も近い立ち位置の作品だろう。
こうした、強い“毒母”の手枷から逃れようともがく主人公にとって、物語を通じて父親が“不在”となっていることが気になる。森の演劇集団が演じる芝居を見ていたボーは、いつの間にかその物語の主人公となっているが、この人物は生き別れになった家族を長年探し続けているうちに老人になってしまう。
そして、その劇中劇の最後に、とうとう主人公は青年となった三人の息子たちと巡り合ったところで現実にもどるが、この父と息子たちの物語はボーの願望のあらわれ以外の何物でもないだろう。