15歳でデビュー、J-POPの歌姫「宇多田ヒカル」の誕生
そうした努力を重ねたことで、故郷の日本で夢が叶う時が来た。その糧となったのは両親の愛情や努力、何よりも娘の光が秘めていた類稀なる才能だった。
「私の両親はいつも音楽を作っていて、一緒にスタジオに居ました。彼らは私が歌うことをすごく応援してくれたけど、やらされているようで気が乗らないこともあったんです。だんだん自分で書いてみようかなと思いはじめて、やってみたら気に入ったので、続けてきたってところかな」
※引用元・小西良太郎著「女たちの流行歌(はやりうた)」産経新聞社
シンガー・ソングライター「宇多田ヒカル」の誕生である。15歳の宇多田ヒカルは1998年12月9日、シングル『Automatic/time will tell』でデビューを飾った。もちろん自らの作詞作曲で。
当初は無名でほとんど注目されていなかったが、比類ないヴォーカルと圧倒的な歌唱力、自ら作詞作曲する楽曲の新鮮さで評判になった。
翌年には1stアルバム『First Love』を発表してベストセラーとなり、母のデビュー時に負けずとも劣らない衝撃を音楽シーンに与えた。
アルバムの累計売上枚数は約800万枚にまで達して、日本国内の歴代アルバム・セールスの記録を大きく更新。宇多田ヒカルは、たちまちJ-POPの歌姫となった。
だが、デビューから10年以上の歳月が過ぎて、結婚と離婚を経験した後に、アーティストではなく人間として活動をする期間を設けると宇多田はブログで発表する。
その時、彼女は27歳になっていた。
振り返ると、15才からずっと音楽ばっかりやってきました。「宇多田ヒカル」が音楽に専念できるように、周りから過保護に守られた生活をしてきました。人からは、年のわりには人生経験豊富だね~なんて言われるけれど、とても偏った経験しかしていません。
(中略)
アーティスト活動中心の生き方をし始めた15才から、成長の止まっている部分が私の中にあります。それは、人として、とても大事な部分です。
(中略)
そういう気持ちから、一つ大きな決断をしました!
来年から、しばらくの間は派手な「アーティスト活動」を止めて、「人間活動」に専念しようと思います。
広い世界の知らない物事を見たり感じたりしたいという気持ちが強まり、英語の他にもいろいろなことを勉強したかったという理由で引退を決意し、それを同じ27歳で実行に移した母とよく似ていることに驚かされる。
しかし、宇多田ヒカルが日本を離れていた2013年8月22日、母の藤圭子が亡くなった。