ブタというのは、
実はぼくだった
これからしばらく人間の死を中心に据えて、その周辺の様々な事象を、さして明確な脈絡を求めずに、考えていこうと思っている。
2013年に『ぼくがいま、死について思うこと』(新潮社)という本を書いた。これを書くときの動機もまた単純だった。
知り合いの精神科の医師と、知り合いの親しい編集者がほぼ同じ時期にぼくにほぼ同じようなことを言ったのだ。
「あなたは(ぼくのことですね)自分がいつか確実に死ぬ、ということを一度も真剣に考えたことはないでしょう?」
与えられる餌をさしたる思考もはさまず、むさぼり食って毎日笑って生きているブタ――というのは、実はぼくだったのである。
言われてみればたしかにそうだなあ、とぼくは素直にその指摘に反応していた。
自分がいつか必ず「死ぬ」ということは理解していたが、そんなにつきつめてそのことを考えていたわけではなかったのだ。
その指摘に反応してぼくは、自分が世界のいろんな国で見てきた葬儀であるとか、死者に対する人々の対応などの事例を中心に書き、それなりに自分も思考して1冊の「死」の本にまとめた。
ぼくが書いてきたこれまでの夥しい粗製濫造的著書のなかでは極端に異例のテーマだったからか、その本はけっこう多くの人に読まれたようだった。
あのブタおとっつあん(ぼくのことですが)もけっこういろいろ考えていたんだな……。読者はそう思ったことだろう。
その本を書いてから4年が経過した。にわかに「死」について慣れない思考を強いたからか、そのあともいろいろと、もう少し突っ込んで取材し、続編のようにして「死」のもっといろんな周辺を書いていかなければならないのではないか、と思うようになった。
文/椎名誠
写真/shutterstock
#2に続く
江戸時代日本での実質的な鳥葬
日本にしか存在しない間に仕切りのあるベンチ
人は孤立死、孤独死をとても辛いものと強く思っている