問題作連発のフランス映画界の鬼才
ギャスパー・ノエ監督はこれまで、モニカ・ベルッチが9分間にわたってレイプされるシーンを描いた『アレックス』(2002)で物議を醸し、何者かにLSDを摂取させられたダンサーたちが精神を崩壊させていく『CLIMAX クライマックス』(2018)で観客にショックを与えてきた。かつてフランス映画界の若き鬼才と呼ばれてきた彼も、本作公開の2023年12月には還暦を迎える。
筆者は1994年、羽田空港近くのホテルのバーでギャスパーと2人で酒を飲んだことがある。そのとき、彼はまだ中編『カルネ』(1991)を撮っただけの新人監督で、ふたりとも30歳前後だったこともあって意気投合し、「モントリオール映画祭がすごくいい雰囲気だから今度行ってみるといいよ」と言われたのを覚えている。それから30年近く経ち、ともにそれなりに年を取り、親の認知症という問題に直面する年齢になったわけだ。
筆者の場合は父親が、ギャスパーの場合は母親が認知症だと聞くが、老いや死といったテーマが身近なものとなったことで、彼はそれを映画として観客に突きつける決意をしたのだろう。
スプリットスクリーンで観客を観察者に
実験的手法で知られるギャスパー・ノエ監督作品だが、本作では終始、ふたつの画面が横に並んで描かれるスプリットスクリーンの手法が取り入れられている。
認知症になって徘徊する妻と、必死になってその妻を探す夫、あるいは仕事をしたり愛人と電話でこそこそ話したりしている夫と、長年の習慣で散らかっているゴミを片付けている妻を同時に示すことで、観客をあたかも夫婦の行動を逐一見つめる観察者のような気分にさせる。