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孤立死はいやだ

2018年は年明けから春にかけて各地で厳しい天候が続き、東京では春になっても冷たい雨が降り続く日が多かった。

現在の住処で暮らすようになってからぼくは新宿中央公園の脇の道をぬけて街の中に入っていくことが多いが、ブルーシート囲いのホームレスの人々の仮住まいや、歩道の陸橋の下などでもうまい具合に段ボールハウスなどを組み立てている人々などをしばしば見て、雨のときなど「大変な苦労だろうなあ」とつくづく思っていた。

そんな折々にこのシリーズの連載がはじまり、ホームレス生活を余儀なくされている人々の話を側面からいろいろ知るようになり、そのなかで「孤立死」「孤独死」という言葉が頻発しているのが気になった。

今の日本の行政措置の基本はどう見ても弱者排斥という非情なところに向いていて、ホームレスが段ボールや端材を使って公園などに自分の仮の住まいを造るのも並大抵ではない、ということをよく聞いていた。

森林公園などにブルーシート囲いの仮住まいがいくつかできてくると狙いうちのように一斉撤去の強制指導がきて、それらの仮住まいの人々が大勢集まって共同体などを造らせないように牽制をするようだ。

高齢化するホームレス事情から浮かび上がる日本の行政の弱者への冷淡さ「間に仕切りのあるベンチを国外で見たことがない」〈椎名誠が見る路上〉_1
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ホームレスの人々は孤立し、むかしふうにいえば孤独な無宿人として肩身の狭いところにどんどん追いやられているようにみえる。行政のいたるところにおける「弱き者」への冷淡さはたとえば公園に行くとよくわかる。

ベンチなどの多くは真ん中のところに区切りを作って簡単には壊れない障害物を作っているのをよく見る。

これは恋人たちが2人ずつなかよく分けて使いなさい、というような甘いはからいなどでは断じてなく、ホームレスをその上で寝そべって寛がせないための「仕切り」なのだ。その非情ないやらしさはおそらく世界でも日本だけしかやっていない底意地の悪さだろうとぼくは思う。

ずいぶんいろんな国に行ったがそんなヘンテコなベンチ見たことがない。行政の考え方の中心は「弱者排斥」であるということをあのベンチの真ん中の突起があからさまに示しているのではあるまいか。

「弱者排斥」という基本的な行政の思考のもと各地の公園などに住み着いているホームレスはいまどんどん外に追いやられ、そこらの町の隙間に造った段ボールやビニールハウスはたいがいなんらかの排斥勧告を受けているようだ。