「今できることは義援金かもしれません」

「大事なのは違う規格のものをバラバラと」ではなく「同じ規格のものを大量に」だと言う。

「違う物が種類多く届いても整理や配分に困り、味の違いなどでも好みで分かれる場合もあるので、やはり同じ味のものというか、同じ規格のものを大量にというほうが仕分けしやすいというのはあると思います」

また、「現地のニーズと善意のズレが生じることがある」と言うのは「東日本大震災津波伝承館 いわて TSUNAMI メモリアル」の齋藤正文課長だ。

「東日本大震災のときも日々、必要物資や環境のフェーズが変わっていましたので、報道で今流れていることが、明日も明後日も同じとは限らず、善意で送られてくるものが必ずしも現地のニーズと合致しないことがままありました。今は特に現地は緊急対応で手いっぱいで、ボランティアを受け入れる拠点さえも決めかねている状況だと思います。そのため運び込まれた物資を降ろす人手や、拠点に運ぶ役所の人手が足りない中で、受け入れる側の整備体制が進まないジレンマもあると思います」

東日本大震災直後の南三陸町(撮影/村上庄吾)
東日本大震災直後の南三陸町(撮影/村上庄吾)

「今は音楽より優先すべきものがある」と齋藤課長も言う。

「能登は半島という海に飛び出した地形柄、現地に向かう道路も限られます。今は物と人の流れが十分に円滑になるまで、もどかしいながらも我慢していただくときなのかもしれません。こうした緊急対応の段階では音楽より優先すべきものがあるのではないかとは思います。いずれ復興し、その地に住み続けられるように支援していくことが大事なので、今できることは義援金かもしれません。義援金なら、フェーズごとに必要な物が変わる被災地において必要な物に変えられるのですから」

前出の佐藤潤也氏は言う。

「私が身を寄せていたお寺にも、被災から半年経ったころに、う〜みさんという歌手の方が来て下さいました。最初は“誰だろう”という感じでしたが、う〜みさんは何度も足を運んでくれ、歌を届けてくれたし今もお付き合いがあります。辛かった時期に聞いた歌は、その後の人生においても励みになる。でも、それも日々の生活に慣れ、希望も芽生え始めたころだからこそ耳に届いた歌です。どうか皆さんには一過性ではなく長らく力づけてほしいと思うし、音楽を届けてくれるなら、一度と言わず何度も届けてほしいと思います」

珠洲市の避難所に運ばれた物資(撮影/集英社オンライン)
珠洲市の避難所に運ばれた物資(撮影/集英社オンライン)

いま、できることは、いち早く被災地に向かうという行動ではなく、被災地からの発信に目と耳を傾けることなのかもしれない。

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取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班