電通抜きではオリンピック開催は無理。
贈収賄・談合はまた起こる
スポーツウォッシングという今日的な問題は、日本のスポーツ番組の中ではあくまでも存在しないことになっている。しかし、東京オリンピックについていえば、この巨大イベントがつくり出した陰の部分は、次々と白日のもとにさらされてきた。
電通元専務の大会組織委員会元理事が収賄容疑などで逮捕され、KADOKAWA会長は贈賄で逮捕、組織委員会元次長ほか数名も独禁法違反容疑で逮捕され、電通グループ・博報堂・東急エージェンシーなど6社が起訴された。そもそも、招致当初にはコンパクトな大会を標榜していたはずが、大会予算はどんどん膨れ上がってゆき、最後には談合汚職事件として「清算」されることになってしまうのは、予想されたこととはいえ、今さらながら「お粗末」以外の言葉が見あたらない。
この組織委員会元次長が逮捕される前日には、車椅子テニスの世界的スーパースター、国枝慎吾氏が引退会見を行ない「東京パラリンピックで優勝したことが一番の思い出になった」と述べていた。プロフェッショナルアスリートの最高のステージが、利権と私欲の温床として、いわば「スポーツマネーロンダリング」の道具に利用されていたという事実は、そのアスリートの業績が偉大で輝かしいほど、どうしようもないむなしさや無常観がさらに強く漂う。
本間氏もこのように言う。
「この談合事件では、フジテレビの子会社であるフジクリエイティブコーポレーションの専務も逮捕されました。しかし、フジテレビはその事実を隠したいためか、逮捕に関するニュースをほとんど報じていません。つまり、フジテレビしか見ていない視聴者は、談合事件で4人が逮捕された事実さえ知らないことになるわけです。自社の犯罪とすらまともに向き合えないテレビ局が、より大きな問題であるスポーツウォッシングについて報道できるはずがありません」
この一連の事件は、捜査と裁判を通じて問題の根幹まで徹底的に洗い出され、旧弊な贈収賄と談合の日本的体質が是正されていく契機になるのだろうか。おそらくそんなふうに楽観視している人はきわめて少数だろうし、同じようなことはかたちや場所を変えて今後も繰り返されていくのだろう。
実際に、この東京オリンピック・パラリンピックをめぐる汚職談合事件は、あくまで属人的な私利私欲の事件として落着しそうな流れに見える。オリンピックという「スポーツマネーロンダリング」装置の徹底的な検証に踏み込むことは、どうやらなさそうだ。同じことは、今後もきっとまた繰り返される。
本間氏が危惧し指摘するのも、この点だ。
「収賄で逮捕されたとか談合で逮捕されたとかは報じるけれども、オリンピック全体の総括をしたのかというと、どこもやらないわけです。誰もまともな総括をせずに税金と集めたカネを垂れ流して終わる。みんなが一番心配していた最悪のパターンを堂々とやっている。だから、札幌オリンピックを招致したって同じことが起きますよ。
札幌市の秋元市長は『特定の広告代理店に依存した体質を見直す』と言っているようですが、電通を使わずに自治体主導であれだけの巨大なオリンピック業務をはたしてできるのか。現実問題としてそんなものは〈絵に描いた餅〉で、かなり難しいでしょう。だから、一番いい対策は札幌にオリンピックを最初から招致しないことです」
「北海道新聞」が2022年12月に行なった調査によると、札幌オリンピック招致は札幌市民の67%が反対、道全体でも61%が反対と回答している。全国に対象を広げたとしても、おそらくこの傾向に大きな差はないだろう。だが、2023年4月に行なわれた統一地方選挙では札幌市長選で現職の秋元氏が勝利し、選挙終了後も招致活動を継続していく、とした。しかし、その後も市民の機運が盛り上がることはなく、同年10月11日に2030年に向けた招致の断念を正式発表した。
それにしても、競技に参加する当事者であるアスリートたちは、札幌オリンピック招致の是非についていったいどう思っていたのだろう。やはり世界一のメガスポーツイベントである以上、一世一代の晴れ舞台で栄光を掴むために母国開催を望んでいたのか。あるいは、巨大な集金装置の客寄せパンダとして扱われるのであれば、そんなところでは競技をしたくない、と考えたのか。それともその狭間で思い悩み、現在の歪んだ運営体質が改まれば参加をしたい、と組織の健全化を要求するつもりだったのか。
今に始まったことではないが、競技場やトレーニングで汗をかいているとき以外の日本人アスリートたちの「表情」は、なぜかまったく見えてこない。彼ら彼女らの声や意見を糾合できるのは招致委員会やスポーツ庁、各競技団体なのだろうが、彼らこそが〈日本的事なかれ主義〉の権化のようにも見える。これらの諸団体からはむしろ、アスリートたちが声を上げないことをよしとしているような雰囲気すら漂ってくる。
サッカーワールドカップ・カタール大会でも、それは顕著だった。日本サッカー協会会長の田嶋幸三氏が「サッカー以外の話題は好ましくない」と、選手たちが意見を表明しないことを推奨する旨の発言を行なったときには、それを好意的に受け止めたファンの声も多かった。
実際に、この章の冒頭でも述べたとおり、日本のテレビ放送は徹底して無色透明なスポーツ中継に終始した。視聴者の話題が、日本代表チームの劇的な試合内容に集中するのは当然とはいえ、波風を立てず当たり障りのない中継をよしとするメディアや企業の姿勢は、スポーツを観賞するファン/視聴者の態度の合わせ鏡でもある。
つまり、「スポーツに政治を持ち込まない」という大義名分の傘の下で社会に無関心であり続ける姿は、日本のメディアや企業姿勢の問題であると当時に、アスリートたちや、そしてそれを支えている我々自身の問題でもある。
「スポーツに政治を持ち込まない」ことはオリンピック憲章にも記されている。だが、はたしてそれは、アスリートたちが世情に背を向け黙っていることと同義なのか。
註
*1
https://www.youtube.com/watch?v=T7OO1mOk7_g
写真/shutterstock