テレビはスポンサーの機嫌を
損ねることは絶対にしない

「テレビにとって、スポーツイベントは最後の聖域だからですよ。文句なしに視聴率が獲れるし、いいカードであればあるほど安定したスポンサーがつく。だから、テレビ業界的にいえばスポーツウォッシングという問題は『あり得ないこと』なのだと思います」

そう指摘するのは、元博報堂社員という経歴を持つ著述家の本間龍氏だ。広告が社会に与える影響やメディアとの癒着などについて多くの著書がある本間氏によると、スポーツウォッシングという言葉がテレビの中継やスポーツニュースでいっさい取り上げられないのは、番組を支えるスポンサーの影響力がやはり大きいからだ、という。

「新聞の社会面や活字メディアなどのように、報道では軽く触れることがあるかもしれません。とはいえ、テレビの場合は報道番組といえどもスポンサーがついているわけです。それらの中でも、たとえばゴールデンタイムといわれる時間帯にスポンサーをしている企業は、スポーツ大会や選手たちのスポンサーになっている場合も多い。そうすると、番組や実況中継で『じつはスポーツウォッシングというものがあって、目隠しされている問題が山のようにある。スポーツがそれに利用されている』という話は、テレビとしてはタブーになりますよね。まずはスポンサーありき、で考えるテレビにとって、スポンサーの機嫌を損ねるようなことは絶対にやりたくないわけですから。

そのスポンサーとテレビ局の間に介在しているのが、電通や博報堂という広告代理店です。広告代理店ならスポンサーの顔色をうかがって、テレビ局に『そういうものを番組で取り扱うのはやめてくれ』と当然言いますよね。スポーツウォッシングの話題に触れることがスポンサーを直接批判する行為ではないにしても、間接的とはいえスポンサーが行なっている活動の否定につながりかねない。そんな地雷を踏むと、スポンサーが機嫌を損ねて離れてしまうかもしれない。

視聴率が高いスポーツ中継のスポンサーは、億単位のスポンサー料を支払える大企業が多い。そういう企業の機嫌を損ねて、もしスポンサーを降りられたら、その企業がスポンサーになっているほかの番組の提供にも悪影響が出るかもしれない。そういう恐怖感が彼らにはとても強い。『それならば、そんな危なっかしいことには最初から手を出さないでおきましょう』というわけです。

テレビにとってスポーツイベントは最後の聖域…スポーツウォッシングがいまだ大きく報じられない理由とは_2

たとえば、サッカーなどの競技に出資をしていて、テレビ番組にも広告を出している企業はたくさんあります。テレビで、ある番組がスポーツウォッシングを取り上げたとすると、視聴者の中にはそれをスポンサー企業に対する批判だと解釈する人が出てくるかもしれない。広告代理店やテレビ局の立場からすれば、そんなことは絶対にあってはならないわけです。日本的な事なかれ主義であり忖度文化とは、そういうことです。海外の場合だと、こういうことにはならないと思うんですが」

目の前にある問題に対して〈事なかれ主義〉を全開にして、そんなものはまるで存在しないかのように振る舞う日本企業と、問題を直視してあくまで正面から向き合おうとする外国企業の姿勢の差が典型的に表れた例がある。大坂なおみ選手をめぐる、日清食品とNIKEの対応の〈差〉だ。