なぜ『ハヤブサ消防団』を書いたのか
池井戸 潤
夏の暑さが酷かったせいか、このひと月ほどまったく仕事をする気になれなかった。
微熱というのは三十七度から三十八度未満のことをいうらしいが、それにも満たない“微々熱”がずっと続いて体調も悪い。おまけに近所の某大使館前では連日、様々な団体がやってきてシュプレヒコールを繰り返す。気持ちはわかるが、とにかくうるさい。これだけITが発達しているのだから、前時代的に拡声器で声を張り上げるより、SNSを使って世論に訴える方がはるかに効果的ではないかとも思う。
拙著『ハヤブサ消防団』に柴田錬三郎賞を授けて頂けるという一報は、倦むような日々に射した一条の光のようであった。
この小説を書く機縁を得たのは、数十年も前、作家になって間もない頃だ。
私の実家は、岐阜県にある標高五百メートルのいわば限界的な集落であるが、その土地のまん中、小高い場所に公民館があって、その脇に神明神社の小さな祠がある。そして、その祠のみすぼらしさと比べると立派すぎる鳥居が一基。
どこにでもありそうな田舎の風景だが、実はこの鳥居の前にある家が、この半世紀もの間に四、五軒も燃えたとなると話は別だ。
それを話してくれた父は、「鳥居の前には絶対に家を建てるなよ」と、厳かにいった。
ところが、この話を故郷の友達にしても誰も知らなかった。まばらにしか家がない集落のことだから、家が燃えれば人びとの記憶には残っているに違いない。なのに父の世代から我々に伝わっていないのは、それを伝えようという意思がないからだろう。あるいは、一連の火事と神社との関係は父の「発見」だったのかもしれない。いずれにせよそのとき気づいたのは、土地の記憶などあえて伝えなければいとも簡単に失われてしまうということだ。このとき、故郷にまつわる様々なエピソードは、私にとって“いつか書くべきもの”になったのである。
歴史好きの父はそういうことをわかっていたのかもしれない。だから、様々な伝承、父のまた一世代前の人たちに起きた、まさに旧聞に属するエピソードを縷々、私に伝えたのだ。
子供の頃、釣りに行って見つけた美しい淵が「リンネ淵」と呼ばれていたことも、そのひとつだ。かつて、リンネさんという女性が、そこで身投げしたからだ。詳しくはわからないがきっと明治から大正時代にかけてのことではないかと思われる。
山深い渓流にまん丸の淵があり、集落の井戸とつながっているという伝説もある。その淵は竜宮淵と呼ばれて底はまったく見えないほど深いが、直径は数メートルもない。私は、何度かその淵を見たことがある。
これらのことは、『ハヤブサ消防団』に書いた。
私自身が見聞したものもある。山林をうっかり新興宗教団体に売ってしまった話、茶畑がどんどんソーラーパネルに変わっていく集落の現状。地元消防団を舞台にした、どこか戯画的でおかしみのある出来事の数々。本書は私にとって、空想の衣を纏った記録小説なのだ。
『ハヤブサ消防団』の初出は「小説すばる」の二〇二一年六月号で、ここから連載が始まり、翌年五月号まで全十二回を書いた。
これは楽しかった。毎回、原稿を出すたびに担当の編集者さんたちが、版元の垣根を越えて感想を寄せてくれる。それを読むのは刺激的で、随分励みにもなった。
思いつくまま書き始めた小説は、田舎の風俗を並べた出だしから始まり、やがて「ハヤブサ」の過去が蘇り、最終的に人間関係が浮かび上がる奥行きを得たと思う。
ただそれは、全体を書き終えて読み返してみると些か構成が「いびつ」であった。
単行本化の際、いつもなら徹底的に修正するところだが、考えるうち「これでいいのではないか」と思えるようになったのは自分でも意外である。作家の手から零れ落ちたばかりの生々しさがあると思ったからだ。田舎の“シズル感”のようなものである。連載時からの改編は少量に留め、ほぼそのままの形で上梓することにしたのはそうした理由による。
こうして生まれた『ハヤブサ消防団』は、刷り部数からするとある程度世の中に受け入れられたように思う。さらに幸いなことにテレビドラマの原作になり、この夏クールにテレビ朝日系列で木曜午後九時から放送された。方言監修をつけ、作中の東濃弁をそのまま再現するのは難しかったろうと思うが、それをやりきった俳優さんやスタッフには深く敬意を表したい。
ドラマの好視聴率もあって、故郷の町役場では「ハヤブサプロジェクト」という町おこしも立ち上がって現在進行形だ。ドラマで使われた居酒屋△のセットも購入して来年から町内で展示されるそうである。
エンタメ小説を「コンテンツ」として考えるなら、身体性のある書籍にとどまらず、メディアやジャンルの枠を越えてこそ成立する。その意味で『ハヤブサ消防団』というコンテンツがどうやら福分に恵まれているらしいのは、神明神社の御利益だろうか。さらにたいへん有り難い賞まで頂戴して有卦に入っている。いまのうちに、続編を書いておくべきかもしれない。