「ここで黙っていたら、僕は一生後悔すると思ったんです」

──馳知事は県政に批判的なドキュメンタリー『裸のムラ』を制作した石川テレビに対して、自身や職員の「肖像権の侵害にあたる」と批判し、同社社長が出て来ないと定例会見を開かないと発言しました。映画の内容について異議を述べるのではなく、いきなりの会見拒否でこれも言葉を放棄しています。批判や会見での首長と記者のやりとりは、対立しているわけではなく、新しい観点への気づきもあるはず。社長を出せというのは、気に食わないメディアに対する恫喝に他なりません。

上から押さえつけられてきた人間は自分も周りに言うことを聞かせようとする。世界のアスリートに目を向ければ、チェコの体操選手ベラ・チャフラフスカは自国の民主化運動を潰した勢力に粛清され、家族を人質に取られても頑として市民の側に立ち続けた。ユーゴスラビア代表監督だったイビツァ・オシムは暗殺の危険さえある中で故郷サラエボを攻撃する国の代表監督はできないと辞任することで、ボスニア紛争への抗議を示した。日本人では世界卓球連盟の会長だった荻村伊知郎が卓球で朝鮮半島の南北統一チームを実現させた。「なぜスポーツをするのか」…彼らは紛れもない自分の思考、自分の言葉を持っていました。


チャフラフスカとオシムさんはいみじくも1964年の東京五輪に来られていますね。その理念を体現されたと思います。

映画『裸のムラ』ポスター
映画『裸のムラ』ポスター

──アスリートが言葉をなくしてしまうのは、個人的なスポンサー、いわゆるタニマチとの関係もあると思うのですが、日本代表時代、平尾さんの場合はどうだったのでしょうか。

いろいろと面倒を見て下さる存在ですね。僕はタニマチの都合に合わせて食事に行っても楽しくないし、それなら自腹で行くわというスタンスでした。ここも言語化が阻害されますよね。スポンサーの意向に沿わないことがタブーとなりますから、必然的に発言は限定されます。だけど、僕はやはり嫌なものは嫌だし、間違っていることは間違っていると言いたい。食事をご馳走になるだけで、なんでそこまで従順でいなきゃならないのか。それがしんどかったんです。

その点、平尾誠二さんとはフラットな関係性が心地よかったんです。誠二さんは食事をしていても絶対に上からものを言わない人でしたから、余計に対照的に感じられました。でも僕はそういう生意気な態度でいたので、あるときからタニマチとの会に呼ばれなくなりました。ある同僚に連れて行ってもらって、カラオケを勧められて断ったら、「お前そんなんやからあかんねん」と言われたんです。早く帰りたいのにそういう場では相手に合わせて機嫌をとるのが、是となるんでしょう。

そう考えると今、大谷翔平くんみたいな存在が出てきてくれてうれしいですね。フジテレビの収録の打ち上げも社食で食べて、つきあいよりも睡眠を大切にする。突出した実績の人がそれをしてくれるのは大きいです

──アスリートから言葉を奪うものが、現役時代からたくさんあるわけですね。先輩、後輩の上下関係があり、オフザピッチでもスポンサーの存在がある。それが常態化したら、言語化なんかできない。

平尾さんが行っている神宮外苑の再開発反対についての運動は、自分の言葉の結実ではないですか。誰の言葉でもない。自分で立ち上がって署名を集めた。


秩父宮ラグビー場が建て替えになることは知っていましたが、その内容を聞いて驚いたんです。屋根付きで人工芝になって、収容人数が15000人と減少する。その実態を聞いたのが金曜日で、月曜日に反対署名を立ち上げました。ここで黙っていたら、僕は一生後悔する。そう思って決断しました。

自分のアイデンティティの根幹にあるラグビーの聖地が変えられることに黙っていたという事実を抱えて、この先、生きてはいけないなと。これから僕がラグビーのよさを学生に伝えるとき、文化的歴史的にその価値があるといったところで、秩父宮ラグビー場が屋根付きのわけのわからないものに変わるときに、この人は指をくわえていたんやと言われたら、何も言えないですよね。スタジアムに改修は必要だけど、移転して全面的に壊すのは納得できない。スタジアムは同じ場所で改修して記憶を繋いでいくことで、レガシーになると思うんです。

記憶がそこに堆積していくことが重要で、時間の風雪に耐えたスタジアムこそが、文化としてのラグビーの象徴となる。これが真の意味でのレガシーでしょう。「レガシーを作る!」と作る前から宣言するものとは違うんです。

平尾剛氏(撮影/木村元彦)
平尾剛氏(撮影/木村元彦)
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文/木村元彦

スポーツ3.0
平尾剛
2023年9月15日
2200円(税込)
四六判/216ページ
ISBN:978-4-90-939492-7
「する」「観る」「教える」をアップデート!
根性と科学の融合が新時代をひらく。

元アスリートとして、声を上げつづけてきた著者の到達点がここに。

勝利至上主義、迷走する体育・部活、コロナ下の五輪強行、暑すぎる夏、甲子園の歪さ、ハラスメント、応援の過熱、アスリート・アクティビズム、テクノロジーの浸透…
それでも、もう一度全身で、スポーツを楽しみたい! そう願うすべての人へ。
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