「フリーランスには融資額300万円が限度」
前田 それでお金の話なんですが。最初は冗談で、「(選挙ライターを)もうやめようと思っている」という話をしているのかと思っていたら、「取材費のやり繰りがキビシイから」というのを聞いて驚きました。聞かなかったことにしようかと。
畠山 聞こえていないのかと思っていました。
前田 そもそも私が畠山さんに取材の依頼をしたのは、選挙の魅力に取りつかれた畠山さんをフィルターに、私たちが知らない選挙の面白さを見たいというのが大きかったからです。その畠山さんが「やめたい」となると、この企画の根幹が揺るがされる、冗談で言うレベルならまだしも、どうやら本気っぽい、どうしよう?と思いました。
でも、結局聞かなかったことにはできず、畠山さんの揺れも含めて映画にしました。それで、改めて振り返ると、お金が稼げないというのは、社会に求められていないという絶望感との闘いでもあるのではないか?と思ったのですが、その辺りはいかがでしょうか。
畠山 「週刊プレイボーイ」でやらせてもらっていた、インディーズ候補を取材する大川総裁(大川興業)との連載が終わるのが2007年だったかな。その後、民主党による政権交代があり「会見開放(永田町の記者会見のオープン化)」に取り組みはじめてから、ほかの仕事を断るようになったんです。それでどんどん経済的に苦しくなっていったんですよね。
前田 なるほど。
畠山 だけども「苦しい」というと、救いの手を差し伸べてくれる人が現れる。アルバイトを紹介してくれたり、仕事をふってくれたりして細々と工夫しながら続けこられています。
前田 工夫というのはnoteに原稿を書いて、課金してもらうということですか?
畠山 ただ、課金してもらえるものを出すまでに時間がかかり……取材は大好きですけど、書くのが遅くて。
前田 いつからそうなったんですか?
畠山 20代は、30分で原稿を1本書いていたんですよねえ。
前田 ほおう。
畠山 何文字×何行と言われたら、ピシッと埋める。求人情報誌で、働いている人の様子を取材して記事にする仕事も請けていました。知らない世界だけに発見があり、面白くもあったんです。それが、年を重ねるごとに時間がかかるようになってきて。
前田 それは30代ぐらいから?
畠山 筆が遅くなったのは、大川総裁との連載が終わり、ひとりでテーマを見つけて取材するようになってからですね。冒頭の5行目で離脱されず、最後まで読んでもらえる原稿を書こうと意識するようになりました。35歳ぐらいからですね。
前田 それ以外にターニングポイントとなるきっかけは?
畠山 うーん……。あるメディアで会社員になろうとしたことがあって、総裁にも相談しました。誘われた会社の社長面談が終わったタイミングで、迷いがあって妻に相談すると「断りなさい」と言われ、総裁にも「ハタケイには無理だと思うよ」と言われたんです。
妻が言うには、会社には人事異動があり、記者として入社しても違う仕事に回されることもあるんだからと諭されました。それで一生フリーランスでいくと決意したのが35歳。そう言いながらも、40になるまでに何回も履歴書は書いてはいるんですけど。
前田 それは?
畠山 新聞社の中途採用募集を見つけると、履歴書を書くんです。ただ「大学除籍」という経歴がネックで。卒業しておけばよかったなぁと思いました。それは家族には相談してませんけど。
あ、そうそう思い出しました。そのころ、妻とお金を出しあって家を買おうという話になったんです。ところが銀行からお金を借りようとしたら、「フリーランスには300万円が限度」と言われ、系列の金利の高いところを紹介されました。まったく足りなかった(笑)。
少しでも多く借り入れたいと職務経歴書を書いたのが35のとき。せっかく手間かけて書いたんだから、これは何かに使えないかと思いました。それで新聞社の中途採用を見つけたという。
前田 なるほど。そのジャンプの仕方は掴みづらいですけど、そのころ上のお子さんは小学校に入られるくらいだったんですよね。私もフリーランスが長かったので、心境はわかります。