日本のロックシーンでは異色の存在だった坂本龍一

坂本龍一は1952年、東京都に生まれ、東京藝術大学在学中にスタジオミュージシャンとしての活動をはじめる。

藝大出身という肩書き、「教授」というあだ名から想起されるアカデミックなムードは、日本のロックシーンでは異色の存在であった。

1970年代には大瀧詠一や山下達郎らの作品に参加、大貫妙子のアレンジャーとしても深く関わり、歌謡曲がメインストリームだった日本の音楽シーンの中で、多くのフォーク、ロック系アーティストと交流を深める。

その活動が実を結んだのが、細野晴臣の誘いを受け、高橋幸宏と共に1978年に結成されたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)である。

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2019年に発売された『浮気なぼくら+浮気なぼくらインストゥルメンタル』(ソニーミュージック)のジャケ写(オリジナル発売は『浮気なぼくら』1983年5月、『浮気なぼくら(インストゥルメンタル)』1983年7月)。ヒット曲『君に、胸キュン。』などが収録されており、1982年のメンバーのソロ活動や他アーティストへの楽曲提供などを経て、ポピュラー志向のテクノポップへと大きく路線を変更したアルバム

1979年から1981年にかけては、前述の大瀧、山下といったロック系のアーティストたちが次々とブレイクし、日本の音楽シーンのメインストリームに送り出されて行った時期だった。

その最大の求心力となったのがYMOで、テクノポップという新たなジャンルの音楽は、小学生層まで巻き込んで爆発的な人気を獲得。

特に坂本はメンバーの中でもサブカルチャーのアイコン的存在となり、1982年にはRCサクセションの忌野清志郎と組んで『い・け・な・いルージュマジック』も大ヒットさせた。その忌野清志郎も2009年に、58歳の若さで他界している。