たけしさんが「おまえは次はポリネシアンダンサーをやれ」

1981年10月にスタートしたバラエティ番組『オレたちひょうきん族』。横澤彪プロデューサーの横澤班に属する三宅恵介ディレクターをはじめとした5人の“ひょうきんディレクターズ”は番組にも登場した名物ディレクターたちだった。三宅さんは三宅デタガリ恵介の名で「タケちゃんマン」を、荻野ビビンバ繁さんは「ひょうきんベストテン」を、佐藤ゲーハー義和さんは演芸ライブのコーナーを担当。

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島崎俊郎さんの“アダモちゃん”ことアダモステというキャラクターは、まさに三宅さんが担当する「タケちゃんマン」のコーナーで誕生した。三宅さんが当時を振り返る。

「もともと、島崎くんと僕の出会いはビビンバ荻野から“おもしろい若手がいるから”って、ナベプロ(現在のワタナベエンターテインメント)の篠崎さんがマネージャーをしてたトリオ『ヒップアップ』時代に紹介してもらったのがきっかけです。当時ヒップアップはバラエティ番組『笑ってる場合ですよ』で5週勝ち抜いてて勢いがあった。だから『ひょうきん族』でも冒頭5分くらいのライブコーナーをやってもらったんです」

島崎さんが『ひょうきん族』に出始めのころは、トリオ、ヒップアップとしていろんなネタをやっており、ヒップアップのトシちゃんという立ち位置だった。そんななか、ひょんなことから「タケちゃんマン」のコーナーでも島崎さんを起用することに。

「たしかグループサウンズが解散するドラマの設定で、みんなに色黒で長髪のカツラを被らせてたんです。島崎くんのその姿を見たたけしさんが本番中に“お前は次はポリネシアンダンサーをやれ”って言ったんですよ。

僕らは出たとこ勝負だから次の週には島崎くんをガングロにしてポリネシアンダンサーの格好をさせて台本には“とりあえず踊って変なことを言う”くらいにしか書いてなかった。それで“最後になんか一言!”って言われて追い詰められた島崎くんが…“ペイっ! アダモステ〜”と叫びながら帰ったんです」

その瞬間、スタッフたちは大爆笑。意味はわからないけどおもしろいものを撮り続ける……当時の番組作りにはこうした勢いがあった。

撮影時に偶然生まれた“アダモちゃん”(写真/共同通信)
撮影時に偶然生まれた“アダモちゃん”(写真/共同通信)
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「1回はみんな出てもらうんですよ。でもそこから2回目、3回目があるかはそこでウケるかどうかだから。島崎くんの“アダモちゃん”はまさに2回目に繋いでいける訳のわからないおもしろさがあった。島崎くんが追い詰められて言った“アダモステ〜”は本人のセンスによるもの。その言葉とキャラクターがここまで長く愛されるなんて当時は思いませんでしたよ。彼は根が真面目だから『次はこんなのどうでしょうね』なんて提案もしてきました」