上司の嫉妬から強制送還の危機に
「テンプル大学では仕事に没頭しました。娘が朝起きる前に出勤し、学校が終わるころに娘を迎えに行き、また研究室に戻って夜まで仕事を続ける日々でした。何か月間も研究室に寝泊まりしていたこともあります」
そのころにまとめた研究論文が認められ、ジョンズ・ホプキンス大学から声がかかった。
ところが研究成果を出している彼女に嫉妬した上司が、ジョンズ・ホプキンス大学側に対し「テンプル大学から出たら彼女は違法滞在になる」と嘘の情報を流したという。このことで、ジョンズ・ホプキンス大学はカリコ氏へのオファーを取り下げた。
上司はさらにカリコ氏のことを違法滞在者だと移民局に通告。強制送還の危機に立たされた。移民局との問題が収まるまでは失業状態。「水の中で溺れないように手足をバタバタさせ、なんとか沈まないようにしている感じだった」と当時を振り返る。
周囲から協力を得られない孤立感
テンプル大学をやめた彼女は、1989年にペンシルバニア大学に移籍。助教授として働くことになった。するとそこでは、女性の研究者からいじめにあったという。
もともとDNAに比べてmRNAの研究は非常に難しく、なかなか結果が出せなかった。そのことから「時間の無駄」「もっとやるべきことがほかにある」と言われた。
「『できるはずがない』と思っている人たちに囲まれて研究を続けることは困難でした。協力を得られない孤立感の中で自信喪失し、暗い気持ちになったこともあります」
ペンシルバニア大学での彼女の評価には「教授職に就く資質が欠落している」と書かれていたそうだ。1990年代の初めに大学側から研究を停止するように言い渡され、続ける場合は「降格と減給」という条件を突きつけられた。しかし研究をやめる選択肢は彼女の中にはなかった。
「誰かの責任にせず、真摯に努力を続ければ必ず道は開けると信じてやってきました」
教授職にも就けず、サポートチームももらえず孤立していた彼女は、1997年、HIVワクチン開発の研究を行っていたドリュー・ワイスマン教授とペンシルバニア大学のコピールームで巡り合う。
この出会いをきっかけに、mRNAの共同研究がスタート。2006年にはmRNAを使った難病治療のための会社をドリュー・ワイスマンと設立した。彼らが発表した研究結果こそが、今回のコロナワクチン開発につながったのだ。