本当は民主主義なんか求めていない

その後アルバート通りに立ち寄ると、ここにもロシア人の団体旅行客の一団がいた。昔のアルバート通りとはだいぶ変化しているように思ったが、今日は元日なので、明日以降に人々をみてみなければわからない。マクドナルドが撤退したあとに、そのノウハウを全部引きついで、後継店がちゃっかりオープンしていた。

名前も「フクースナ・イ・トーチカ」(おいしい、それだけ、の意味)。ビッグマックに限りなく近い「ビッグ・スペシャル」というのを注文したら335ルーブルした。大体600円くらいか。店員もマクドナルド並みの愛想というか。店内もテイクアウトの列にも結構お客がいた。フライドポテトはマック時代より絶対においしくなった、と言い張るロシア人が多いという。

今度はワシリー寺院側から赤の広場に入ってみて驚いた。逆側からよりもずっと人出が多い。ものすごい数の人出だ。そこで確信した。これは実際にロシアの人々にとっては初詣なのだと。日本の神社やお寺の代わりに、ここでは圧倒的にロシア正教の教会と旧ソ連の名所がその役割を果たしている。

新年を祝うバカ騒ぎテレビ番組、笑顔溢れる赤の広場、記念撮影をする人々…戦争の影が微塵も見えない2023年1月1日のロシアで考えたこと_2

広場にはメリーゴーラウンドも敷設されている。子どもたちが歓声を上げていて、親たちが嬉しそうにそれをカメラで撮影している。頭がくらくらするような遊園地状態。これが戦争をしている国か。

その光景をしばらく眺めていて、僕はとても強い自己嫌悪に陥りながら、考えてしまったのだ。この国の人々は、本当は民主主義なんか求めていないのではないか。独裁的な全体主義体制の方が、自分たちの威厳とか誇りとかプライドを維持してくれているのなら、それでいいじゃないか、と。

帝政ロシア→ソ連→ロシア共和国という変遷を経ながらも、そこに住む国民とはそういう人々なのではないかと。いま現在のウクライナの方は、いきなり侵略されたことから、ナショナリズムに火がついて、人々は、祖国とか自由とか言っているけれども、僕はそれが心の奥底からの「民主主義への希求」というものかどうか本当のところは、わからない。

同じ思いは日本という国に暮らしている僕ら日本人についても感じる。いま現在の日本国民は、政治にひどく無関心だとされている。確かに、公共=コモンという概念がおそろしく希薄だ。そのような国づくりをこの10年あまり(安倍・菅・岸田政権のもとで)やってきたのではないか。それにどれだけ自分は抗ってきたというのか。目の前をメリーゴーラウンドが回っている。ロシアの子どもたちの歓声が聞こえる。