母は、東大をはじめとする旧帝大出身者ばかりの一族
ソウタの母親の葵は、東大をはじめとする旧帝大出身者ばかりで占められた華麗なる一族の出身だった。葵の父親は、将来を嘱望された気鋭の学者であったが、葵がおなかにいるときに、不慮の事故で亡くなった。葵の母は、女手ひとつで3人の子どもを育てた。幸い、夫名義の不動産が都内にあったのでそれを相続し、安定した家賃収入が得られ、経済的には困らなかった。
葵自身、大学付属の私立中高一貫校出身だった。だから、彼女にとって、ソウタに中学受験させることは既定路線だった。幼稚園のころにはKUMONを始め、レゴスクールにも通わせ、小学生になるとサイエンスクラブという理科実験の教室にも通わせた。いずれも、中学受験を前提にしたときに、幼少期にやらせておくと良いと評判の習い事だ。
特にサイエンスクラブにソウタははまった。テレビで見る科学者みたいな白衣を着て、さまざまな理科実験器具を扱わせてもらえる。理科が好きになり、「僕は将来ノーベル賞をとる」と言うまでになった。
「じゃ、東大にでも行くか?」
夫婦で冗談めかして笑ったのは、小四の夏だった。
ソウタは目を輝かせて答えた。
「うん、僕、東大に行って、ノーベル賞をとる!」
「それなら、中学受験しないとね。東大にたくさん入る学校があるから、そういう学校に中学校から入ったほうがいいんだよ。豊おじちゃんも、晋おじちゃんも、そうやって東大に入ったんだよ」
親戚の名前を出して、葵が入れ知恵する。
「ふーん、中学受験か」
間もなく10歳になろうとする少年は、それならやってみようと、気軽に考えた。
都心部ではSピックスやWアカデミーなどが有力なようだが、ソウタが住む千葉県では、I学院が多くの教室を構えている。校舎の外壁には、S幕、I川、T大T邦などという私立中学校の合格者数がでかでかと貼り出されていた。葵はI学院を選んだ。
周囲は小3の2月から通塾しているが、ソウタは半年ほど遅れてのデビュー。「これは1学期にやったよね。夏期講習でもくりかえした。だからもう、みんなできるよね」という前提で授業が進む。ちんぷんかんぷんな様子だった。小学校ではできるほうだったし、将来はノーベル賞をとると豪語していたくらい、勉強も嫌いではなかったはずなのに、塾では勝手が違った。I学院の同じ校舎の生徒の中で、中の中から中の下の位置に甘んじていた。
月に1回ほどの頻度で行われる定例試験の結果を見て葵は、不満そうな表情をソウタの前で隠そうとはしなかった。そのたびにソウタはびくっと萎縮した。