ヤクザ映画で男性ファンからの熱狂的な支持を得た、“健さん”

1963年、翌年開催の東京オリンピックに向けて開通する予定の東海道新幹線にあやかって、“東映新幹線”なるヤクザ映画路線が敷かれることになって道が開けた。“アクション・スター健さん”の時代の到来である。

初めて任侠道を生きる侠客を演じた映画『暴力街』(1963)では、関東彫りの名人と言われた白石政美の手で、高倉健の全身に”不動明王火焔太鼓”の刺青が描かれた。

もちろん特殊な顔料を使った絵だったが、撮影期間の1か月は風呂に入っても落ちないという優れもの。これを境に高倉健は眼光が鋭くなり、常に役柄を意識して自宅でも口数が減っていったという。

そして次作の『人生劇場 飛車角』(1963)がヒットしたことから、東映は任侠映画やヤクザ映画を量産する方向へと大きく舵を切り、高倉健が脚光を浴びていく。

『「高倉健生誕90年/『日本侠客伝』予告編一挙」東映京都俳優部サイドメニュー特別篇』東映京都俳優部より

網走刑務所での服役を終えた伊藤一が1959年に出版した小説『網走番外地』を、同名のタイトルで最初に映画化したのは日活だった。

それから6年後。1965年に東映で石井輝男監督がリメイクした『網走番外地』は、アメリカ映画『手錠のままの脱獄』を換骨奪胎した豪快なアクション映画になった。

本作は当初2本立て映画の添え物として高倉健の主演で制作されたのが、予想外のヒットを記録。同年に続編として『続・網走番外地』と『網走番外地・望郷篇』が作られると、どちらも一作目を凌ぐ大ヒットになり、高倉健は一気にスターダムにのし上がった。

『網走番外地 [DVD]』(©︎東映)。1965年に公開された北海道の大自然を背景に脱獄を決行した男たちの逃亡劇を描いたサスペンスドラマ
『網走番外地 [DVD]』(©︎東映)。1965年に公開された北海道の大自然を背景に脱獄を決行した男たちの逃亡劇を描いたサスペンスドラマ

これによって“健さん”は日本で最も集客力がある映画スターとなり、男性ファンから熱狂的な支持を集めるようになっていった。

しかし、「英語が得意で読書家」という実際の自分とは相容れないアウトローになりきるために、撮影の期間はいつも現実の社会から自らを遮断していた。

ヤクザや刑務所の囚人といった役柄に徹していく中で、高倉健は家庭生活との両立に苦労しながら、幸福感を排除する努力をするようになっていく。

真冬の北海道で『網走番外地』シリーズの長期ロケが敢行された時は、夫人の江利チエミが松阪牛の差し入れを持って訪れるのが常だった。ところがある時期からそれを止められたという。

「嬉しいな。けど、困るんだ。みんな、家族と離れて、寒さと闘いながらの仕事なんだ」(高倉健)
『江利チエミ 波乱の生涯―テネシー・ワルツが聴こえる』(藤原佑好著/五月書房)より

やがて目的地を誰にも伝えず、独りで禅寺にこもったり、海外を旅するようになる。

俳優は脚本に書かれた人物に扮して、台詞や動き、身振りや表情を使って、全身でその人物を演じねばならない。俳優とは文字通り、「人に非ずして人を憂う」仕事なのである。

ただし、正義感が強く生真面目だった高倉健には、映画会社の幹部に言われるまま暴力を肯定するかのようなヤクザ映画ばかりに出演していることに対して、それなりに含むところがあった。

そして1976年に引退覚悟で東映を退社してフリーになり、日本だけでなく世界に知られる俳優として活躍し始めるのである。

今回は、歌い手としての高倉健についても少し触れておこう。