値下げが招いた増税

日本中が日韓共催のFIFAワールドカップに沸いていた2002年6月、アサヒは発泡酒「本生」350ミリリットル缶の希望小売価格を10円値下げして135円とした。

前年発売の発泡酒「本生」はアサヒにとって、1987年発売の「スーパードライ」以来のヒット商品になった。01年はキリン「淡麗」の販売量6690万箱に次ぐ、3900万箱を売り上げて発泡酒ブランド2位だった。

02年2月、キリンは発泡酒の新製品「極生」を通常より10円安い1缶135円で発売した。安く発売できたのは、「販売奨励金(リベート)を一切出さない、テレビCMを流さない、缶や箱を簡素化した」(当時のキリン幹部)ためだった。

しかし、アサヒは「キリンが値下げに動く。「淡麗」をきっと10円値下げする」と読んでいた。

アサヒ内部では、マーケ部が「せっかくヒットした「本生」のブランド価値が下がる」と値下げに猛反対した。これに対し主流である営業部は「キリンに再逆転を許すわけにはいかない」と主張した。

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駅伝でもマラソンでも、先行ランナーに追いついた場合、一気に抜き去るのが常道。相手の闘争心を削ぐことができるからだ。しかし、引き離すことができず、食らいつかれて併走することになると、逆に追いついたランナーの志気が喪失してしまう。果たして、アサヒは値下げし、他の3社も追随して主力の発泡酒を相次いで10円値下げする。

年初には110円前後だったスーパーやディスカウントストアでの発泡酒の店頭価格は、6月になると実質的に100円を切る店も現れた。

まさに真夏の白兵戦であり、消耗戦だった。安売りを支えたのは、メーカーのリベートだったが、値下げにより各社の利益は飛んでいった。

そして、相次ぐ値下げは増税する口実を与えてしまう。

ビール業界は2001年の年末に「発泡酒増税反対」で一致団結。四社の経営者が街頭で署名活動などを行った。

〝税の神様〞と称された自民党税制調査会最高顧問の山中貞則が存命だった時代に、2年連続して発泡酒増税を阻止したこと自体、ほぼ前例のないことだった。02年末も4社は共闘したものの、03年5月に発泡酒350ミリリットル缶で10円増税される。