新ジャンル(第三のビール)戦争と酒税
2001年にアサヒに抜かれて2位となったキリンだが、2005年に勃発した「新ジャンル(第三のビール)戦争」では、圧勝する。
03年9月、サッポロが新ジャンル「ドラフトワン」を北部九州4県で発売し、04年2月には全国発売した。この時点で、キリンは05年春に新ジャンルの発売を決定する。
「ドラフトワンはよくできている。安価でよくできていれば、お客様から支持される」と判断したのだ。
対するアサヒは「04年年末の(05年度)税制改正の行方を見てからにしよう」と、正式決定を先延ばしにしたのだった。政府の税制改正により、新ジャンルが増税されるなら、投入するメリットはあまりない。
そして、2004年末の05年度税制改正案で議論の俎上にはのぼったものの、この年の、新ジャンル増税は見送られた。なぜか。
理由は、先発メーカーですでに商品を出していたサッポロが、水面下でロビー活動を展開したためだった。
新ジャンル増税を推進していた政府税調に質問状を送付し、財務省や関係する国会議員と面談して説得して歩いたのだ。2000年から3年間続いた業界を挙げての「発泡酒増税反対」運動を通し、サッポロは霞ヶ関にも、永田町にも〝土地勘〞をもつようになっていた。サッポロの動きを、アサヒもキリンも知らなかった。
「(ロビー活動は)初めての経験でしたが、やらざるを得なかった。財務省は本気でした。また、関係する議員先生にも「増税すれば狙い撃ちですよ。不公平じゃないですか」とお話ししました」(当時のサッポロ首脳)
一方、当時の財務省幹部は「発泡酒増税の時は業界と敵対しましたが、新ジャンルの時には話し合いの場を持ち、メーカーの意見を聞きました」と裏事情を話す。
ビール類は他の酒類と比べ、消費量が多く、税率も高い。このため担税率が大きく、財務省はマークせざるを得ない側面がある。
ちなみに、サッポロは〝節税〞を狙って「ドラフトワン」を商品化したわけではない。本来は、〝苦さ〞を抑えたビール系飲料をつくろうと、企画したのだった。
着想したのは、サッポロの当時の技術者、柏田修作。正規の研究開発ではなく、柏田が個人で始めた〝闇研究〞としてつくりあげたのである。焼津の研究所で、本来は部下ではない若手研究者を勝手に使い、所員を巻き込み、4年弱で形にした。
20代の若者や女性は、缶チューハイやカクテルなどの甘くて飲みやすい酒に流れていた。彼ら彼女らがビール・発泡酒を敬遠する理由は「苦さ」にあると柏田は考えた。
苦さはホップと麦芽に由来していた。ホップは投入量を減らすなど調整は可能だが、麦芽は難しい。「それならば、麦芽を一切使わないビールテイスト飲料をつくれば、若者に支持される」というのが、柏田が開発に取り組んだ動機だった。
さて、アサヒ社内には「発泡酒ナンバーワンのキリンは、(新ジャンルには)出てこない」という読みが強かった。新ジャンルを出すということは、ビールよりも小売価格が安い発泡酒の販売に影響を与えるからだ。
ところがキリンは早期に決断して準備を整え、2005年4月6日、「のどごし」を発売する。「のどごし」はヒットし、「ドラフトワン」を抜き、すぐに新ジャンルナンバーワンとなった。
一方のアサヒも05年四4月20日、新商品「新生」を投入したが、出遅れによる準備不足が響き〝不発〞に終わる。発売当初こそ爆発的に売れたものの、すぐに生産対応ができなくなって、欠品してしまったことが原因だった。
この結果、最大で5%程度のシェア差がついた両社の距離は、一気に縮まる。
06年上半期(1〜6月)にはキリンがアサヒを抜き再逆転。それでも12月までの通期ではアサヒが首位を死守した。
なお、新ジャンルには麦芽を使わない「豆系」と、麦芽を使いスピリッツを加えた「麦系」がある。ただし、税率は同じ。2023年10月には新ジャンルという区分はなくなる。
文/永井隆 写真/Shutterstock
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