パレスチナのアラブ人の苦境とナチス占領下におけるヨーロッパのユダヤ人

民族浄化の犠牲になったのはパレスチナ人だけではなかった。

約1万人のユダヤ人も、ヨルダンとの国境の向こう側にはみ出した家やコミュニティからアラブ人兵士によって追い出された。

エルサレム旧市街の古くからのユダヤ人街に住んでいたさらに2000人のユダヤ人も、家を追われ国境を越えて西エルサレムに追いやられた。その後、このユダヤ人街はほぼ壊滅した。

強制追放、逃亡、破壊といった事件は国中で起こった。

こうした土地の強奪は、故郷を追われたパレスチナ人の増大と、イスラエル国内にある家に戻らせてほしいという彼らの要求が芽生える土壌となった(現在に至るまで、古い家の鍵はパレスチナ人の強力なシンボルであり続けている)。

ユダヤ人国家は本当に必要なのか…パレスチナのアラブ人の苦境とナチス占領下におけるヨーロッパのユダヤ人との共通点_3

この紛争に見られる多くの悲痛な皮肉の一つは、言うまでもなく、こうした状況が、ユダヤ人は古来の故郷への帰還を許されるべきだというシオニストの要求の鏡像になっていることだ。

これはイスラエルとパレスチナの話なので当然かもしれないが、私がここで語った事実関係の歴史でさえ、いまだに論争の的となっている。

長年、イスラエル側の公式見解は、アラブ人は無理やりに追い出されたわけではなく、ダマスカスやカイロからのラジオ放送によって、攻め込んでくるアラブ軍がユダヤ人を海に突き落としやすくするために一時的に退避するよう促され、自発的に立ち去ったというものだった。

こうした主張の別パターンとして、次のようなものもある。リッダのような場所での強制追放は、アラブ人が新生国家を存亡の危機に陥れるのを防ぐため、残念ながら必要とされる軍事行動だったというのだ。

対照的に、アラブ側の公式見解は、シオニストの軍隊が新生国家から非ユダヤ人を排除するため、アラブ人の住民に銃を突きつけて追い出したというものだった。

歴史的な証拠からは、もっと複雑な物語が浮かび上がる。

長年にわたり、シリアやエジプトのラジオ放送に関する主張はイスラエルのプロパガンダとして片づけられてきたし、実際、こうした放送があったという確たる証拠も見つかっていない。

だが、近年、新たな証拠が明らかになった。実はアラブの軍事指導者の一部が、パレスチナの地元アラブ人に一時的に家や村を離れるよう実際に指示したというのだ。とはいえ、それが、アラブ人が立ち去る決意を固めるのにどの程度影響したかはわかっていない。

さらに、当時のシオニストの政策も一枚岩ではなかった。

たとえば、アラブ人とユダヤ人が混在していたハイファという都市では、ユダヤ人の市長が怯えるアラブ人の住民に、逃げずに家に留まるよう懇願したことがある。

高級官僚でのちに首相となるゴルダ・メイアは、パレスチナのアラブ人の苦境をナチス占領下におけるヨーロッパのユダヤ人のそれになぞらえていた。