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地図は領土ではない

1990年代後半、私はイスラエルの(ほとんどはエルサレムの)、改変や汚損の跡がある道路標識を撮影しようと決めた。被写体のほぼすべてで2〜3カ国語表記からアラビア語の地名が削除されていた。そういう標識が何百もあった。

写真を見ると、アラビア語の地名がペンキで黒く塗りつぶされたり、ウルトラ・ナショナリズム的なヘブライ語のバンパー用ステッカーが貼られたりしているのがわかる。

この国とパレスチナ人とのつながりと、この国におけるパレスチナ人の存在を(文字どおり)隠蔽し、ここは彼らが属する場所ではないというメッセージをアラブ人に送ろうとするその試みは、政治と人口動態に関する願望的思考への傾倒を如実に示す一つの例にすぎない。

〈イスラエル−パレスチナ〉「考古学もまた紛争地帯だ」エルサレムで黒塗りにされるアラビア語の地名…ヘブライ語に置き換えても定着せず_1
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イスラエル人もパレスチナ人も多大な労力を費やし工夫をして、相手方の領有権を否定することで自らの領有権の主張を強化しようとしてきた。

認識をめぐるこの戦争の主な戦場は歴史、地理、地図作製、考古学だ。

2001年に、イスラム法学の最高権威の一人であるエルサレムの元ムフティーが「エルサレム旧市街にはユダヤ人のものは石ころ一つない。ユダヤ人がエルサレムにいた証拠は何一つない」と言い放った。

また、パレスチナの指導者ヤセル・アラファトは、こんにち岩のドームが建っているエルサレムの神殿の丘にかつてユダヤ神殿が建っていた証拠はないという、完全に誤った主張をした。

一方、パレスチナのアラブ人の起源は7世紀およびそれ以前のイスラム教徒によるパレスチナ征服にあるが、親イスラエル派の一部はそのつながりを否定し、パレスチナ人というものはなく、あったとしても、パレスチナのアラブ人は皆、過去2世紀のあいだにやってきたと強弁している。

特に地図は、しばしば双方でプロパガンダのテコ入れと視点形成の武器とされ、その手口は滑稽なまでに酷似していた。

イスラエルやパレスチナ自治政府による公式の領土地図は、たいがいグリーン・ラインも、相手方がその土地に実在する事実も示さず、代わりに不可分の国という夢想を描いている―全部イスラエル、あるいは全部パレスチナなのだ。

しかし、そのような公式の地図は、正確さを眼目としてはいない。ありのままの世界ではなく、望ましい世界を提示することを意図している。

それだけに、役に立たないどころか有害であり、危険な代物になってしまっている。地図(たとえばエルサレムのバス路線図)は、それが必ずしも現実を反映していないにもかかわらず、領土に対する一定の視点を形成する可能性がある。

パレスチナ人とイスラエル人の子供たちは、何世代にもわたって自分たちだけが国土の正当な所有者だと教える地図を見て育ってきた。

そのような深く根づいた意識と思い込みが現実と食い違うときは、要注意だ。それこそが、新たな世代の紛争と嫌悪を生み出す大きな要素だからだ。争いの的であるこの地域に関しては、地図は領土ではない。