「ヨーロッパでは失敗した」とは?
ヨーロッパを例にして移民の反対論を展開する論者もいる。それはヨーロッパでは、移民・難民の受入れによって社会が混乱しているというものだ。
メディアでは、ヨーロッパの状況について「移民・難民」とひとくくりにされることが多いが、移民と難民はまったく性質が異なる。
移民は政府がその国に必要な働き手等として正規に入国を認めた人たちであり、彼らの入国を問題視する国はない。一方、難民や非正規の移民の対応にはヨーロッパは苦慮している。
その理由の一点目は、予測不可能な大量難民の発生である。アフリカ、中東諸国での紛争の発生によって、大量の難民が流入する危機がある。国内の政治の不安定化に加え最近では気候変動による難民の増加も起こっている。
つまり、ヨーロッパ各国が計画的に受入れを望む移民以外の流入、しかも各国の受入れ許容量を超える数の大量流入にヨーロッパは苦労し、また将来も苦労するだろう。大量難民の発生は世界でどのような紛争が起こるか次第であり、予測不可能で対応が難しい問題といえる。ウクライナからの数多くの避難民の流入もその例だ。
島国である日本についていえば、近代、そうした大量の難民が日本に押し寄せたことはなく、北朝鮮の崩壊や台湾有事の際にはそうした事態となり得る可能性はないとはいえないが、本書ではこれ以上、言及しない。
しかし、ヨーロッパでも、移民に対する苦労がないわけではない。それは過去の政策の誤りによるものだ。実際に定住化が進む現実を無視して、「一時的な滞在者」「景気の調整弁的な労働者」としての対応を長らくとってきたことだ。つまり、定住化が進む外国人に対して、受入れ国の言語教育や文化・習慣について教育することをおこたり、また子弟の教育をなおざりにしてきた結果、起こった社会の分断である。受入れ側の市民と移民との間に溝が生まれ、移民による貧困地区の固定化といった現象を生んだ。
二点目の理由はムスリムの存在だ。ヨーロッパとムスリム圏は長い対立の歴史を持ち、また独自の文化・習慣を維持し続ける傾向のある人たちもいる。その文化や習慣がヨーロッパにとって重要な民主主義的な価値観(男女平等など)にそぐわない場合、その対立は大きくなる。