安倍総理の指示で加わったキーワード
そんな旅から帰国すると、正味一カ月間の、スピーチ作成作業が始まった。
いま記録を確かめてみると、原稿の第三版から第四版の間に、総理の指示によって重要なキーワードが加わっていたことがわかった。
日米同盟を、「希望の同盟」と呼ぶんだと、そう明確に言う表現が加わったのが、第四版だった。
自分の記憶違いにも気がつく。安倍総理(やわたし)は、寝床に持ち込んだラジオで深夜放送に聞き入った世代の一人。
安倍氏はなんでも高校生の頃キャロル・キング「君の友だち(You’ve got a friend)」を愛聴したとかで、第一版作成時点から、歌詞の一節を入れられないかと指示が来ていた。
残ったメモの様子から記憶をたぐるに、総理の指示を聞いた今井尚哉秘書官が簡単な原稿にし、わたしに手渡してくれていたようだ。わたしは、「ユーヴ・ガッタ・フレンド」の歌のエピソードは、演説作成過程のごく終盤に総理自身の指示で入ったような気がしていた。
一緒に忘れてしまっていたことは、当初は傍聴席(ギャラリー)にキャロル・キングその人に来ていてもらい、あなたはわたしの憧れでしたと、総理が直接呼びかける演出を考えていたことだ。
あぁ、きっと、大きな、割れんばかりの拍手が出るなぁ、すると総理は一気に喜色満面、最後の大団円に向かって、フォルティシモで盛り上げる力強いフィニッシュができるなぁと、そんな想像をし、ひとり興奮した記憶がほのかによみがえる。
拍手が取れるスピーチをつくろうとして腐心しなくてはならない理由のひとつはそこだ。拍手はスピーカー自身の感動を増す。それがストレートに出ると、会場は興奮をシェアし、増幅してくれる。ライブ・コンサートとなんら変わらない。
だからわたしは、「こう書けば、きっと」と、いつも拍手を引き出せる流れや文章をああだこうだと考えるのを常とした。
そしていまいった大団円をどうつくるかは、スピーチの寿命を決める。着地がぴたりと決まると、全体の印象が顕著によくなる。「あのときの、安倍さんの、あれ、すごかったねえ」といったように語り草となって、長く覚えていてもらえるかもしれない。
幻に終わったプランといえば、当初はギャラリーにメジャーリーグの元投手、野茂英雄氏に来ていてもらい、「100マイルでなく、10マイルの球速で、ゆっくり投げてください」と演台から呼びかける安倍総理に向かって、ほんとに球を投げてもらう演出を(も)考えていた。
白球はきっと、ゆるやかな放物線を描いて安倍総理のグローブに収まっただろう。そしてそれは残像となって、見る者の眼底に長く残っただろう──。
別段ことさらなケレンを求めたのではない。野茂投手は、覚えている人が多いだろう、クリントン政権発足後三年目、日米経済摩擦がその陰の極にあり、とげとげしい感情と言葉が日米間を飛び交ったまさにそんな時期、1995年に単身太平洋を渡った。
するとその一度上体を真後ろにひねった後で投げるトルネード投法は、大リーグの強打者たちをばたばた三振にとった。かといって、表情ひとつ変えない野茂。
米国の野球ファンたちは、貿易摩擦の、なんのかのはおかまいなし、強い野茂をただ強い野茂として、純粋に喜び迎えてくれた。そのことが、どれだけ日本のわれわれに、干天の慈雨のごとき慰藉を与えてくれたことか。
野茂こそは真のパイオニアであって、彼がいなければイチロー、松井秀喜、もろもろの日本人選手は果たして大リーグにいたか疑問なくらいだ。とそう考えて、わたしはしばらく野茂に執心した。
野茂氏の都合がつかなかったのだと記憶するけれど、このプランは早期に消えた。
なにごともやり過ぎはいけないし、いくらケレンでないとわたしごときが言おうが、安倍総理は結局のところ、演出過多の気味合いが出るのを嫌っただろうと思う。飛んできたボールを取り損ねて何かを壊しなどしてもまずい。つまり野茂投手の線は、やはりなかった。