ぼーっとしている人は怠けているのか

あるとき、午前中から打ち合わせがあり、その後都内のカフェで一息ついていると、店内は昼食を食べにきたビジネスパーソンであっという間に満席になりました。

そのとき、一人で来店していたすべての人たちがスマートフォンを手にし、画面を観ているという光景を目にしました。

それは決して珍しい光景ではないですし、スマートフォンでSNSや動画を観たり、大事な用事を済ませている人もいて、好きに過ごすことは当然です。

ただ、もし休憩時間だから仕事から離れるためにスマートフォンを観てリラックスしたいという意図があるとすれば、そこには落とし穴があります。

というのも、常にスマートフォンを使っていると、膨大な情報を脳が処理し続けてしまい、結局、溢れる情報量で脳の中を整理できないまま「ごちゃごちゃ」とした状態になる可能性があるからです。

米ワシントン大学セントルイス校の神経学者マーカス・レイクル教授が提唱したデフォルト・モード・ネットワーク(Default Mode Network)によると、脳は何かに集中しているとき以外の、ぼんやりとしているときでさえ、相当なエネルギーを使っているといいます。

諸説あるにしても、何気なくスマートフォンを観ることでリラックスできるというのは思い込みであり、個人差はありますが、完全にリラックスできているとは言い難いのかもしれません。

また、ドラマや漫画のワンシーンで、親が子どもに「ぼーっとしている暇があったら勉強しなさい」「まったく、ぼーっとしてばかりでダメね」などと、叱責するセリフが使われがちで、ぼーっとすることが、まるで、何の役にも立たない、怠け者のすることであるかのように、無駄なことだと言っているように受け取れます。

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「いつものことだから」よりも、「最初で最後の1回だ」

しかし、その「ぼーっとする」時間は、子どもの頭の中で、その日に起きた出来事や学んだことの内容などを整理するために、必要な時間なのかもしれません。

「休憩時間はスマートフォンを観る」という習慣や「ぼーっとするのは無意味だ」などという考え方は、つい「いつものことだから」とほかの視点から観察しようとはせずに状況を短絡的に判断していることのあらわれです。

そもそも、現実的に考えてみると、「いつものことだから」と私たちが言える回数は限られています。

なぜならば、私たちには寿命があるからです。厚生労働省が作成した簡易生命表(2021)による、日本人の男女の平均寿命から算出した、男女合わせての平均寿命は、およそ85歳となり、それを日数にすると約3万1000日です。

もしあなたが45歳だとすると、すでにおよそ1万6425日を過ごしたことになるので、残り1万4575日が、「いつものこと」ができる日数だと考えられますが、人はいつ死ぬかも、いつ怪我や病気で体が不自由になるかもわかりませんから、「まだ、この先1万4575日もあるぞ!」と悠長なことを言えるわけではありません。だからといって、焦る必要もありません。

ただ、日々自分の言動を判断することの一つ一つが、貴重であり、「いつものことだから」とするよりも、「最初で最後の1回だ」として、より丁寧に観察し、行動するほうが、スマートな決断だと言えるのではないでしょうか。

たとえば、明日のランチタイムには、スマートフォンから離れることで休息時間を取るとしましょう。そして、「スマートフォンをバッグ(ポケット)から出さないでおこう」と、実践するだけで、食事に集中できます。