他者への想像力が豊かな社会をつくる
藻谷 いろんな世界の数字と日本の数字も比較して思うのは、普通の人が普通にたらたら生きて、普通に仕事してる範囲で普通に子どもが育つような状況にしない限り、子どもの数は復活しません。
僕は山口県の工場町、今の周南市で育ちましたが、通った小中学校では、本当にあらゆる家庭環境の子どもたちが、分け隔てなく対等に遊んでましたよ。金があってもなくても、よその家行って飯食わせてもらうのは当たり前でした。
泉 あ、周南ですか。この前、講演会に行かせてもらいました。ご縁ですね。
藻谷 ありがとうございます。でもそんな中にも残念な思い出はあります。僕が小学校六年のとき、夏休みの間に飢え死にした友達がいるんです。僕が北陸の祖父母のところに泊まってる間の出来事で、葬式にも出られなかった。
帰ってきたら、「S君が死んだよ」「えっ、何で?」「学校ではいつも給食をいっぱいお代わりしとったろ。家では妹と二人でアンパン1個とか、ひどいときはあめ玉三つしか飯が出なかったこともあったそうじゃ。それで、体壊しておしっこ出なくなったのに、医者にも行かせてもらえん。自分で『薬ください』と近所の薬局に頼みにいって、薬局のおじさんが慌てて病院に連れて行ったけど、もう手遅れで、全身黄疸で膀胱破裂じゃったんじゃ」と聞かされた。1976年でした。無力感に煮えくり返りながら、「こんなことの起きない世の中にしなくてはいけない」と思ったんです。お恥ずかしいことに、ぜんぜん実践できていないんだけど……。
泉 今のお話聞いて、横にそれた話のようだけど、じつはそれてない。今の話で感じるのは、ふるさとがあるんですよ。子ども時代の悔しい、悲しい思いです。藻谷さんって全国を全部把握してはって、数字も詳しいけど、やっぱり根っこがあると思う。これはすごい大きな問題で、根っこの自分の原体験とか思い出とかふるさとのある人は、他者に対しても思いに共感できる。だから、一つ一つの地域の特性のよさと悪さをすごく分かってはると思います。
その根っこのない方や薄い方は、ほんとに頭でっかちなんですよ。建前論とか、大上段の議論ばっかりです。やっぱり根っこのある人のほうが他者に対しても想像力豊かですね。私も、心情右翼と言われるんですが、根っこにはやはり地域、ふるさとへの愛着がある。それを持ってはるのは藻谷さんの特長だと思いますね。