「良いロシア兵もいた」とは書けなかった…
ブチャと家族について話した時、ゼレンスキーは目を潤ませていた。記者仲間の間では「役者だから、演技がうまい」という声もあったが、私には素の姿だったように見えた。
会見後に知り合って、一緒に食事をした、ウクライナに初めて来たある中国人記者は「紳士な姿勢に少し感動した」と感想をもらした。
しかし、私は2つ目の質問への答えと世論の反応に危うさを感じ取った。
質問した記者は19年の大統領選を争った前大統領ポロシェンコが大株主のテレビ局の記者だった。ゼレンスキーは質問に答えずに、政敵を批判し返したのだ。
質問した記者はネット上で炎上した。
「大統領を批判する者はウクライナの敵だ」
「(質問することで)カネをもらい、昇進したんだろう」
「魂を売った記者だ」
この記者はソーシャルメディアで反論している。
「数十人の見知らぬ人々から直接メールが届き、本来記者がすべき、厳しい質問を唯一したことを感謝された」
会見で汚職問題を含めて批判的な質問がほとんどなかったことは事実だ。国内テレビ局の戦時統制を懸念する声もある。侵略者に利する恐れがあるため、外国人記者を含めて自主規制が働いている面もあるはずだ。
私自身も記事を書くのをためらったことがある。4月、ロシア軍の占領から解放された北部チェルニーヒウの村を取材した時のことだ。
ロシア兵が住民に一切、手を出さず、火事になった家から子供を助けたり、食料を分けてくれたりしたと話してくれたある女性の証言を記事にしなかった。
数時間の滞在で住民の話を十分聞けたわけではなく、ブチャでの市民虐殺が明らかになった直後でもあった。「良いロシア兵もいた」とは書けなかった。
国民の間では戦時下で政府を批判することに慎重な声がある。国防省の横領スキャンダルにより、国防相オレクシー・レズニコウの更迭論が持ち上がった時、市民からこんな意見を聞いた。
「みんな汚職は無くなっていないと分かっているが、いまは追及する時ではない。政権に打撃を与えて、敵に塩を送るような報道は控えるべきだ」
「レズニコウの更迭には反対だ。彼は欧米の武器支援で重要な役割を担っている」
しかし、食糧調達の水増し疑惑の報道をきっかけに汚職に対する国民の目は次第に厳しくなり、市民社会が起動し始める。2023年7月の世論調査によると、6割超の国民が「国防省の汚職がロシアを打ち負かす障害になっている」と答えた。
そして、8月、兵士の制服の調達を巡る新たな横領疑惑が報道され、ゼレンスキーはレズニコウの解任に踏み切る。侵略者との戦いと同時に、ゼレンスキーは「内なる戦い」も迫られている。
文/古川英治 写真/shutterstock
#1『「記者じゃない、当事者だ」ウクライナ侵攻開始直後、「あなたは何もしていない。記者でしょう? 書いたらどうなの」とウクライナ人妻から言われた日本人記者のホンネと葛藤』はこちらから
#2『ロシア軍占領地での拷問の実態「私が泣き叫ぶのを見たがっていた」24時間監視、ペットボトルに排尿…26歳ウクライナ人女性が受けた暴力の数々…手と足の指にコードを結び、電気ショックも』はこちらから