私は当事者だ
携帯電話にはひっきりなしにメッセージが入ってくる。
毎日電話をくれる息子の声は切実だった。息子は妻の連れ子であり、ウクライナ人だ。日本で高校を卒業し、ヨーロッパの大学に進学するタイミングで、私たち家族は日本を離れたのだった。
彼は日本が大好きだ。その理由を聞くと「みな親切で、平和だから」と答えたことがある。彼がウクライナにいなくてよかったと心の底から思った。
息子も1月から妻に退避を働きかけていた。そしてこの日は私にこう訴えた。
「1人でいいから、逃げてほしい。でないと、僕はどうなるの? 1人になっちゃうよ」
ここはなだめるしかなかった。
「安全なところに行くまで、お前のお母さんと一緒にいるから。心配するな」
多くの国外の友人たちも、21世紀とは思えない侵略戦争にショックを受け、ウクライナ発のニュースにくぎ付けになっていた。
「ウクライナにいるのか? 家族の避難先を探しているのなら、シチリアの私の家を使ってくれ」
「お前はウクライナ人じゃないんだから、逃げろ」
ある友人からは、数時間おきに安否確認が届いた。就寝中の深夜に私の返信がないと、朝方までこんなメッセージが続いていた。
「エイジ、どうしたの?」
「返事して、お願い」
「大丈夫なの??」
何人かのロシア人からもメッセージが来た。みな心を痛めていた。両親がプーチン政権のプロパガンダを信じ、話ができなくなったという友人もいた。
こんなメールも届いた。
「記者も命あってこそ。気を付けて」
「記者冥利(みょうり)につきますね。うらやましい」
読みながら、抑えていた気持ちが思わず声に出た。
「記者じゃない、当事者だ」