文脈の射程の長さ
上田 波多野さんは、僕の小説の中には経済の話も出てきてリアリティがあると評価してくださっていますが、経済といえば、波多野さんも、新譜の中の「石化する経済」で、経済を扱っていますよね。「ニムロッド」の歌詞でも、「科学はいい線までいった」と投げかけていた。今やそういうことがご自身の中でテーゼとして形成されていきつつあるのかなと思いました。
波多野 最近僕が題材にしている社会的な事象に対しては、おのずと知りたいことが出てくるんですが、そのなかでもこれまでの僕に確実に足りなかったのは、経済なんです。社会を考えると、政治には意外と容易にたどり着くんですけど、経済にはなかなかたどり着かなかった。歌詞を書くような、僕みたいな文系タイプは特にそうなりがちだと思います。でもこれからミュージシャンとして圧倒的なものを作ろうとするならば、もっと現実的なことを勉強して技術を向上させないと、という危機感があります。
上田 僕の目から見ると、日本の歌手やバンドの歌詞は、映画なのか、状況なのか、社会的な関係なのか分からないですけど、わりと外部の文脈にアジャスト(適合)しすぎているような感じがします。だから、すごく短い文脈の歌になってしまっている。でもPeople In The Boxの音あるいは歌詞の繋がりって、もっと文脈の射程が長い感じで作られていますよね。それが異彩を放っているところだなと思います。
波多野 それはうれしいな。射程の長さって、自分の視野をどこに置くかと関わってくるんだろうと思っているので、視野や視点を工夫はしています。たとえば、目でバナナケーキを見ながら、脳みそでは貿易のことを考えているとか、頭の片隅に貿易のことがあるとバナナケーキがちょっと違って見えるとか。そういう脳の動きは、僕がまさに上田さんの小説に感じていることです。上田さんがチャラければチャラけるほど。
登場人物の向井くんが言う「モテるためにはモテればいい」という話は、他人の欲望を欲望するという、経済のキャズム理論を想起させますよね。商品が初期市場からメインストリーム市場に移行するには越えるべき深い溝があるという、あの理論です。僕は向井くんの話はそのメタファーと捉えたんですが、上田さんは、メタファーってどこまで意識的に設置するんですか。
上田 不思議なんですが、何げなく書き始めたものを深掘りしていくとメタファーになっていくんです。たとえば『ニムロッド』では「駄目な飛行機」を一つの起点として書き始めたら、それが人類や現代社会の象徴になっていった。たぶん、もともと僕にそういう問題意識が潜在的にあったから、メタファーになりうるものが網に引っかかってくるんだと思います。
波多野 とても腑に落ちます。結局、創作って、その過程自体が深掘りになるんですよね。僕も「うわ、繋がったな」というときがあります。でも、それが前面に出過ぎると下品になるから、そのバランスは探ります。「ここはバレたくない」とか「音ではこう聞こえるけど歌詞カードには書かないでおこう」とか、そういうテクニックを使って。
上田 僕もそういう調整、結構やりますね。