「激しい怒り」に内在する強いさみしさ
一緒にいたいと思う人が忙しくて都合がつかない。それが長く続いてさみしくなる。
一緒にいるのだけれど、思いが通じないことが増えてきて、それが重なりさみしくなる。
そんなとき、さみしがりやの人ほど、相手を責めてしまうことがあります。その結果、相手の心が離れていき、ますます孤独になってしまうという悪循環をもたらしてしまいかねません。
また、特定の誰かでなくても、誰かといたい、誰かに自分の気持ちを知ってもらいたいという思いがあり、それがかなわない場合にさみしさがつのっていく、ということもあります。
そんなさみしいという感情は、ときに思いどおりにならない相手や社会に対する強い怒りへと変わることがあります。
さみしさによってストレスにさらされているときに脳内で起こっている現象のひとつとして考えられるのは、セロトニンの分泌が十分でないという可能性です。セロトニンには、「闘うホルモン」ともいわれるアドレナリンを抑える働きがあるのですが、セロトニンが十分に存在しないと、アドレナリンによって駆動される攻撃の仕組みがコントロールできず、本当に相手に対して攻撃的になってしまうということが想定されます。
愛している相手に対して攻撃を加えるというのは、冷静になって考えればあまりやりたくないはずのことでしょう。けれども、さみしさのあまりに、この衝動が止められなくなってしまうというのは悲劇的です。自分で自分をより苦しい方向に追い詰めるような行動を、なぜ人は断ち切ることができないのでしょうか。
思っている対象の人に会うことができれば、そのさみしさはたしかにそのときは癒やされるでしょう。しかし、どんな人が相手であったとしても、24時間ずっと一緒にいるわけにはいきません。離れなければならないときを迎えると、あるいはそれを想像するだけで、さみしさにつきものの心の痛みがよみがえってきて、また相手を攻撃してしまうということも起こってしまいます。
これでは、相手の存在はむしろあなたの心の痛みを助長する引き金になってしまっているようなものです。相手と一緒にいるときの心の安らぎや、心地よさが大きければ大きいほど、それを喪失する痛みは強くなり、耐え難いものになっていく。