気をつけたい「孤独の美化」

また、気をつけなくてはならないのは、「孤独の美化」です。
「ソロ活ブーム」は面白い現象で、周囲の他者の意向を慮らなければならない重たさから解放され、ひとりの時間を楽しもうという時代の気分から生まれてきた流行です。わたしもどちらかといえばひとりが好きな性質ですから、これがブームになっていることについては個人的には歓迎したい気持ちがあります。

けれども、「孤独は美しい」「孤独の価値を知るべきだ」「他人に依存して生きることは恥ずかしい」「人生最後はひとりなのだから孤独から逃げてはいけない」などといわれると、本当に誰かに頼らなければならないときに、声を上げられなくなってしまう。

孤独を楽しむことができる人があたかも優れた人であって、誰かに頼る人は劣った人であるかのようなイメージが社会的に定着してしまうことそのものには危うさを感じてしまいます。日本に特有の、根強く存在する、「他人に迷惑をかけてはならない」という不文律と融合して、孤独の価値を謳う精神論が、本当に助けが必要な人の声を潰してしまうことはしばしばあるのではないでしょうか。
誰かに助けを求めるより、ひっそりとひとりで死んでしまったほうがいい、と、取り返しのつかない選択をする人がもしいたとしたら。孤独の美を訴えることの功罪はもっと議論されるべきなのではないかと感じます。

幽谷の仙人のような、孤高の美学を追求するのはとても満足感の高いものでしょう。けれどもそれは、さみしさへの感受性が異なる可能性のある他者に押し付けられるべきではなく、押し付ける人がもしいたとすれば、それこそ迷惑な話です。しかもその態度は孤独を愛する人のそれですらありません。他者に自分の考えを認めさせようとしている時点で、恥ずかしいほど他者を必要としている姿であるからです。

あなた自身のなかに、さみしさへのあきらかな不安や不快な感情があるならば、他人の美学に左右される必要はないと思います。美しいものではあるかもしれませんが、「誰かが勝手にいっているだけなのだから」と自分の生き方とは切り離して考えていきたいものです。

さみしいという感情が時に思い通りにならない相手や社会に対する強い怒りになる… 脳科学者が説く、さみしさの危険性とは?_2