メジャーデビュー後も地元の名古屋にとどまり続けたHIKAGEがいよいよ東京へ

足掛け7年に及ぶインディーズでの活動実績をひっさげ、HIKAGE率いるザ・スタークラブは1984年10月、ファーストアルバム「HELLO NEW PUNKS」で待望のメジャーデビューを果たす。そしてその直後から日本の音楽業界では、にわかにインディーズブームが巻き起こり、雨後の筍のごとく数多のパンク&ニューウェーブ系バンドが出現する。

するとザ・スタークラブは、イギリスの初期パンク勢と同等の長いバンド歴を持つ、日本の“元祖パンクバンド”として一目置かれ、人気も知名度も全国規模で広がりを見せた。しかし、そうしたうねりの中心にいながら、HIKAGEは地元の名古屋を離れようとしなかった。

「俺は最初から、東京に出たいという思いがあったんです。でも、バンドのメンバーが名古屋を離れたがらなくて、なかなかきっかけがつかめなかった。メジャーデビューといったって、パンクですからテレビにバンバン出るわけじゃないし、レコーディングも山中湖や河口湖のスタジオでやってたから、名古屋が拠点で何も問題がないんです。でも俺は逆に、名古屋にいても何でもできてしまうところが怖かった。このままずっと名古屋にいるんじゃ刺激もないし、面白くねえなと」

当時は東京でのライブも多かったが、終演後に機材車に乗れば、その日のうちに名古屋へ帰ることができた。打ち上げにも参加せずそそくさと地元に帰っていたので、東京のバンドたちとも親交は深まらない。良くも悪くも日本の中心である東京のシーンと、交わらぬまま時は過ぎた。
インディーズの頃と比べるとライブは常に大入りだし、音源の売り上げも順調。だが、そうした盛り上がりや喧騒は、名古屋にいると遠くのもののように感じられたのかもしれない。

「生まれたのは名古屋の中心に近いところだったんですけど、それからはずっと西春日井郡という田舎の方に住んでいたんです。時間の流れさえもゆっくりに感じられるようなところです」

そんな郷里を離れ、HIKAGEが東京に来たのは1989年、30歳になった年だった。
日本の音楽シーンはインディーズブームからバンドブームへと発展し、パンク界隈が一段と盛り上がりを見せていた頃だ。

「当時のベースのAKILLER(3代目ベーシスト。1987-1996年在籍)が東京に行ったっきり帰ってこなくなっちゃったんで、『もう俺たちも行こう!』と決心し、メンバー全員で東京に出てきたんです。実際に東京へ来て一番驚いたのは、街の騒がしさ。街中がうるさくて、静かなところがどこにももないんだな、と思いました。それに時間の流れが早かった。1日がすぐに終わってしまう感覚です。
事務所は名古屋のままだったので、スタッフと話すときにはよくもめました。『(東京は)時間の感覚が違うんだよ! ちんたらやってられないよ』って」

ザ・スタークラブHIKAGEが見た1989年の東京と、独自のパンクシーンが発達した地元・名古屋のこと_2
(撮影/木村琢也)

その年、名作との呼び声高い8thアルバム「凍てついた疾走者」がリリースされた。生まれ育った名古屋から東京へという一大変化を受けて、バンドの音楽も変わったのだろうか。

「目に見えて音は変わってはいないと思うけど、自分の内面では大きな変化がありました。だから歌詞の言葉ひとつ選ぶにしても、通すフィルターが変わり、確かに今までのものとは何かが違いましたね」

アルバム「凍てついた疾走者」には、大都会と対峙する男の姿を歌った、『ACTION STREET』という曲も収録されている。

Standing For The Action
地図にない街で
凍てつく風に抱かれ
立ちすくむ俺さ
Fighting For The Action
燃えさかる炎 消えやしない
この俺のバック・ストリート

『ACTION STREET』(アルバム「凍てついた疾走者」収録。作詞・作曲 HIKAGE)