バンド最大の危機を迎えた1995年をどうやって乗り切ったのか?
ニューロティカに最大の危機が訪れたのは1995年。バンドブームが収束し、ニューロティカもメジャーレコード会社との契約が打ち切られた年だ。
結成時から“バンマス”としてニューロティカを支えたギターの修豚、そして1980年代からともに歩んできたベースのSHONとドラムのAKIOはこの機にバンドを卒業。ニューロティカに残ったのは、ヴォーカルのあっちゃんとギターのJACKie、2人だけとなってしまった。
「修豚は高校の同級生です。JACKieは地元の幼稚園時代からの幼なじみ。SHONとAKIOは、学校の後輩の友達です。もともとバンドのメンバーというより、近所や学校の友達という関係が先ですから、腐れ縁のような感じで、もう一緒にバンドはやってないけど、今もみんなずっと仲いいです。
バンドブームの頃も、このままどこまでもいけるっていう感覚はなくて、とにかく目の前のことをやるだけでしたから、メンバーが辞めると言い出しても、それはそれでしょうがないと思いました。僕はギターもベースも弾けないから、友達が辞めるんなら俺も辞めるよって、普通に思いました」
その頃までのニューロティカの曲作りは、修豚が中心になって行われていた。その肝心要なバンマスが抜けるのだから、あっちゃんは「これでロティカは終わり」と覚悟を決めた。だが、ともにバンドに残ったJACKieと、2人のキーパーソンがあっちゃんの気持ちを“バンド継続”の方に押し戻した。
「JACKieはすごく強気で、みんなをなんとか引き止めようとしたし、それがかなわずみんな辞めちゃったあとも士気が上がっていて、自分で曲を作ってきたんですよ。それまではあんまり曲を作んなかった男が。それで僕も『じゃあ続けるか!』という気になりました。
その頃、ザ・スタークラブのHIKAGEさんと、ジュン・スカイ・ウォーカーズの(宮田)和弥が、同じようなことを言ってくれたということも大きいです。
JACKieと僕だけになっちゃったからニューロティカはもう……と口にした僕に、『あっちゃんがいれば、ニューロティカなんだよ』って。二人はすごく優しくて、今もその言葉は忘れられないですね」