「別班」と「調別」
「別班」の取材は、ある自衛隊幹部からもたらされた〝すごい話〟が端緒になった。
手元の取材メモによると、その幹部と会って話を聞いたのは、2008年の4月10日。彼とはその時点で10年以上の付き合いだった。
場所は都内のレストラン。この日は目的があっての取材ではなく、「久しぶりに肉でも食うか」というゆるい懇談だったので、個室ではなかった。赤ワインを飲みながらの会話がふと途切れた直後、幹部は「すごい話を聞いた」と話し始めた。
「陸上自衛隊の中には、『ベッパン』とか『チョウベツ』とかいう、総理も防衛大臣も知らない秘密情報組織があり、勝手に海外に拠点を作って、情報収集活動をしているらしい。これまで一度も聞いた事がなかった」
どこかで聞いた言葉……一瞬にして、調査隊員から聞いた〝過去の記憶〟と結びついた。
事実ならば、政治が、軍事組織の自衛隊をまったく統制できていないことになる。シビリアンコントロールを大原則とする民主主義国家にとって、極めて重大な問題だ。
直感でそう思い、執拗に質問を重ねたのだが、彼が把握していたのは伝聞で得た情報のみで詳しいことは知らず、会食後に取材メモをまとめてみると、幹部は「ベッパン」と「チョウベツ」という言葉を混同して使っていた。
後日調べてわかったことだが、「調別」の正式名称は、陸上幕僚監部調査部別室。前身の陸上幕僚監部第2部別室時代は「2別」と呼ばれていた。
現在の防衛省情報本部電波部の前身で、いわゆるシギント(SIGINT=SIGNALS INTELLIGENCEの短縮形で、通信、電波、信号などを傍受して情報を得る諜報活動のこと)を実施する、公表されている情報機関であって、自衛隊の組織図にも載っていない秘密情報部隊「別班」とは全く違う組織だ。
調別時代から室長は警察官僚が務め、電波部長も例外なく警察官僚がそのポストに就いている。警察庁にとって手放したくない重要対外情報の宝庫だからだ。特にロシア、中国、北朝鮮情報については、アメリカの情報機関でさえも一目置く存在だ。
1983年にサハリン上空で大韓航空機が旧ソ連戦闘機に撃墜され、乗客乗員269人が死亡した事件では、戦闘機が「発射完了」「目標撃墜」「攻撃終了」と地上に報告した無線交信を、調査部別室の東千歳通信所が傍受。それを米国が公表して旧ソ連を追及したことで、調別の名前は一躍脚光を浴びることになった。
それにしても、「調別」「別班」と、なぜこんな紛らわしい名称にしたのか、疑問に思っていたのだが、元別班長の元陸将補・平城弘通が著した『日米秘密情報機関「影の軍隊」ムサシ機関長の告白』にこんな記述があるのを見つけて、納得した。
〈「特勤班」だとか、「二部分室」、あるいは「別班」と略したが、「別班」というのが最後に定着した。二部に通信傍受を扱う「別室」というのがあり、早くから世に知られていたが、「別室」と「別班」だったら紛らわしくて目くらましの効用もあるだろうということで、「別班」を使うことになったのだ〉
自衛隊幹部さえも目くらましに騙され、混同していたのだから、さすが謀略機関というところだろう。