残された目覚まし時計…漆黒の暗闇の中での死
ぼくはガマの中の形やようすを頭に叩き込むと、まだ会ったこともないMさんに電話をしました。必死に事情を説明して、脱出した岩の位置を教えてもらうと、すぐにまたガマにもどって遺骨を探ました。
Mさんの証言通り、たしかに壁際に岩がありました。すでに上半身の遺骨は収集されてしまったようでしたが、下半身はまだ岩の下にはさまったまま残っていたのです。これならいつか遺族にお願いしてDNA鑑定をすれば、Nさん本人かどうかを確かめることもできます。
上半身があったあたりをしらべると、どうしたわけか、たくさんの缶詰の空き缶と目覚まし時計、そして未使用の手榴弾がありました。Mさんに確かめると、Mさんがガマを脱出したときには缶詰などはなかったといいました。
これはぼくの推測ですが、缶詰、目覚まし時計、そして未使用の手榴弾は、Mさんの後にガマを脱出した人がNさんに残していったものでしょう。缶詰は開けられていました。Nさんはそれを自分で開けて食べたのだと思います。
目覚まし時計は、音もない漆黒(しっこく)の暗闇に残される人間に、時を刻む音がせめてものなぐさめとなるようにという気づかいだったのではないでしょうか。時計をわたした人は、ガマを脱出するとき、助けられないとわかっていながら「後で迎えにくるから」といい残したかもしれません。思いは尽きません。
未使用の手榴弾からも、Nさんの最期の姿を想像することができます。水も食べものもないまま衰弱し、苦しみながら死を迎えなくてすむようにと、だれかが手榴弾をNさんに手渡したのでしょう。しかし、Nさんはそれを使いませんでした。Nさんは自分で自分を殺すことをしなかったのです。
ぼくは、ガマの中で「自決(じけつ)」した遺骨をたくさん見てきました。その体験からいえることは、最後まで死を選ばない生き方は、死を選択する以上に勇気と努力と忍耐が必要なことだということです。
ぼくはそれまで、遺骨収集の現場から遺物を持ち帰るということをしてきませんでした。しかし、この目覚まし時計だけは、困難な状況でも生をまっとうしたことを伝える品として、手もとにおいて大切に保管しています。この時計はぜんまい式で、ぜんまいを巻かないと止まってしまいます。ぼろぼろにさびて動かなくなった時計を見るたびに、ガマの中でNさんが息を引き取るのと、この時計が止まったのと、どちらが先だったのだろうかと考えてしまいます。
文/具志堅隆松
写真/『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。』より出典