人間の行動の真理を、野生に尋ねてみれば
人間の行動の真理を、体の深奥に潜む野生に尋ねてみるのは一つの手立てだ。
近年、日本中の里山で著しく増殖している野生鹿を観察してみるとわかるが、集団で山から里へ下りてくるのはメスばかり。
正確にいえば雌鹿と性別不詳の子鹿で、その集団内にツノを生やした大人の雄鹿が混ざっていることはまずない。
オスの成獣は滅多に山から降りてこないが、たまに見かけるときも大概、悠然と単独行動をしている。
野生動物の中には、ニホンザルのように複数のメスと複数のオスで群れを作るものもいれば、ライオンのように一頭のオスが複数のメスを抱えてハーレムを作る種などもいる。
だがいずれにせよオスは生涯の中で必ず、群れを離れて単独行動をする期間があるのに対し、メスは生まれついた群れから離れず、がっちり固まった女系集団内のみで行動する種が多い。
野生動物の行動は基本的に食餌と生殖を中心に規定されるが、メスの場合はここに出産・育児が加わる。すると、群れていた方が都合のいいことが多いのだろう。
自分の遺伝子を次世代以降へ確実に伝えるためには、血縁をはじめとする利益共有集団で互助的に行動することが大事なのだ。
翻りオスは、自分の遺伝子をなるべく多方面に拡散させるため、自由な単独行動を選ぶのである。
そうした動物的本能が、現代人の行動にどの程度残っているのかはわからないけど、敢えてそこをベースに話を進めるなら、群れ行動が本能である女性の“ひとり時間”はハレ、つまり非日常を味わう快感。
逆に単独行動が本能である男性の“ひとり時間”はケ、本来の動物的行動に戻る喜びなのではないかと思う。
昔から男は単独行動が当たり前だから、“ひとり男用”の需要はすでに掘り起こされ尽くしている。
だからメディアは未開拓だった女性にターゲットを絞り、“おひとりさま”の新奇性をアピール。そこに、新しいマーケットが創出されたということなのだろう。