プロモーターとしての「引き際」

――やはり榊原さんは規格外の夢を追いたいというか、規制の枠そのものをぶち壊すようなことがしたいわけですね。

サッカーで言うなら、日本サッカー協会の向こうを張るような、新しいリーグに携わってみたいですね。数年前から、エア・アジアがバックについて、東南アジアを中心とした新リーグを作ろうという動きがあるじゃないですか。そうなったら、Jリーグではなく、そっちのリーグに所属するようなチームを持ちたい。

将来的に人口12億人のインドも新リーグに参加するようになれば、世界最大のマーケットを持つリーグになりますから。日本にそんなことをしようとするチームはないでしょう。Jリーグって結局、企業閥と学閥に守られている組織なんですよ。どこの大学出身かということで、先輩が引き上げたりする。そういうのが見えちゃったので、もう無理だなと思っちゃったんですよね。

「ホリエモンがフジテレビの経営者になっていたら、日本のテレビ局は変わっていた」RIZINをつくった男が語る「地上波の未来」と「自身の引き際」_2

――2015年にRIZINを旗揚げしたとき、「これから10年、とにかく命をかけてやる」と宣言されました。あと2年くらいで、その10年になるわけですが、そのリミットまでにこれだけはやっておきたいというものはありますか。

私は日本の総合格闘技のあけぼのは、1976年の猪木・アリ戦だと思っているんです。アメリカは1993年に誕生したUFCが、その第一歩です。つまり日本で50年、世界的にはたかだか30年の歴史しかない。

でも、この30年で、ここまで世界的な発展を遂げたスポーツ競技は他にないと思うんです。総合格闘技はサッカーや野球に負けないくらいのポテンシャルがあることを証明できた。これから50年、100年と続いていくスポーツだと思います。

私は今年で60歳になります。なので、30代とか、20代でもいい、私自身が30代のときにPRIDEを盛り上げようと奔走していたときのようなバイタリティやエネルギーをもっている世代に早くバトンタッチしたい。私たちは2021年6月に東京ドームで『RIZIN』を開催したのですが、東京ドームで格闘技イベントが開かれたのは実に14年半振りのことだったんです。

――ひと昔前までは毎年のようにやっていたんですけどね。


東京ドームだけでなく、さいたまアリーナとかで、4万人規模のイベントを当たり前のようにやっていた。それが、この15年で縮小してしまった。なので、あと2年で、若いスタッフに5万人、6万人が入るようなイベントを経験して欲しいんです。あとは旗揚げ10周年の記念に、新国立競技場で10万人規模の格闘技イベントを開催して、それを最後に引退するというのはどうですか(笑)。