欠けている部分よりある部分を見る
自分のダメな部分、それは凸凹でいうと凹の部分です。
凹というのはへこんだところですから、言ってみれば、才能がない部分かもしれません。でも、へこんでいるからこそ、凸をすんなり受け入れられる。凹の人は、「才能は足りないかもしれない」けれど、「人の才能を生かす才能を持っているかもしれない」とも言えるのです。
凹がある人には、凸がある人を紹介したくなります。そうすると、自分ひとりではできないことに、どんどんチャレンジできるようになります。「欠け」を受け入れることができるから、いろんな人とくっついて、世界を拡大することができる。
そんなチャンスを手に入れるためには、できない自分を隠さないこと。ダメな自分にもそっと寄り添える、ネガティブケイパビリティが大事なのです。
自分の欠けている部分を大事にできる人は、人の欠けている部分にもそっと寄り添えます。
逆に、人の「欠け」が気になる人は、自分の「欠け」が許せない人です。
「あいつ、細かいよなあ」
なんて言う人は、実は、本人も細かい人です。大雑把な人は、人の細かさに気づきません。人の細かさに気づける人は、自分も細かい人なのです。
自分はその細かさが嫌だし直したいと思っているのに、平気でそれを出してしまう人が許せないんですよね。
欠けている部分、つまり「ない」ことにフォーカスしていると「この欠けさえ補えれば幸せになれるのに」と感じます。でも、その「欠け」は、成長するほどに、相似形で大きくなってしまうのです。
寂しがり屋の人は、権力を握ると、大寂しがり屋になりがちです。意地悪な人は、金持ちになると、大意地悪になりがちです。そうならないためにも、自分にも人にも、寄り添える人になりましょう。
誰もが「欠けた部分を持つ円」だからこそ、「欠け」を見るのではなく、「ある」方を見る。「ある」方を見ていれば、成長したときに「ある」方も大きくなって、より幸せを感じることができます。
大切なのは、円を削り出して、真円を作ること。「ある」方が大きくなったことに感謝して幸せが溢れたら、さらに好循環が生まれ、素敵な未来がやってくるでしょう。