#2 自分のことを好きになるために必要な力とは? 自己肯定感を上げる「ネガティブケイパビリティ」の重要性
人に愛を持って接する、とはどういうこと?
若い頃の僕は、決して人づき合いが上手ではありませんでした。仕事を教えてくれた先輩からは、事あるごとに、「お前には愛がない」と言われていました。
最初はその言葉の意味が、よくわかりませんでした。
「チームメンバーに対して、こんなにも時間を割いてやっているのに、これでもまだ愛が足りないのか?」と思っていたからです。
でも、そうやって不貞腐れている僕に、先輩は「それは、お前の成功のためにやっているだけでしょ?」と言うわけです。痛いところを突かれた気持ちでした。た、たしかに……と。では、どうすれば良いのでしょうか。
僕の仕事は、命令ができません。というのも、僕のチームメンバーの多くは副業でビジネスをしているので、報酬や命令で動かすことができないのです。
命令できないときに、どうやって人の心を動かすか。悩む僕に、先輩は、「愛を持って接しなさい」と言います。
でも、当時の僕には、その「愛を持って接する」がよくわかりませんでした。
仕事以外でも接する時間を増やせという意味かな?
もうちょっと優しく接すればいいということかな?
この問いは僕の心の中にずっと残っていました。かれこれ、10年くらい考えていたと思います。
愛の反対は憎しみ、ではない
ずっと心のどこかで愛について考えていたあるとき、古くからの知り合い(てんつくマンという面白い友達がいます)が、
「拓巳さん、愛の反対って何か知っていますか?」
と聞いてきました。
「そりゃあ、憎しみでしょう」
と、僕は答えました。するとその友人は「いや、違う」と言います。
「憎しみは、愛が極まって憎しみになる。だから、憎悪は愛の向こうにしかないんですよ。だから、憎しみは愛の反対ではありません」
というのが彼の言葉でした。なるほど。「では、愛の反対とは何だろう……」。そう考え込んだ僕に、彼は教えてくれました。
マザー・テレサはこう言っています。
「愛の反対は無関心だ」と。
その言葉を聞いて、僕は、ハッとしました。
そうか。「愛の反対は無関心」
ということは、逆に言えば「その人に関心を持つということが愛なのか」と思ったからです。それだったら、僕にもできるかもしれない。
10年以上考え続けてきた悩みに、僕は、ひと筋の光を見出しました。