韓国人にも難しい済州島の言葉
途中で挫折した最大の理由は、「済州島言葉」である。韓国も日本と同じく、地方ごとに豊かな土地の言葉「方言」がある。たとえばドラマやバラエティなどによく登場するのは釜山などを含む慶尚道の言葉である。高低差の激しい抑揚は独特で、外国人でもわりと区別しやすい。さらに母音の数が少なく、子音も濃音が平音になったり、むしろ日本人にとっては標準語より習いやすいという人もいる。
ただテレビや映画に出てくる慶尚道言葉と違って、実社会では何を言っているのかわからずに困惑することがある。以前、馬山に行ったときに、タクシーの運転手さんの言葉が早口すぎて理解できず、韓国人の友だちですら「ここは韓国語が通じない」と嘆いていた。
しかし最難関は済州島の言葉である。こちらこそ「まるで外国語」と言われるほどで、地元の人同士の会話は韓国の人々でも理解できないと言われてきた。本土(済州島の人は陸地という)から離れた島の言葉は、独自の長い歴史の中で独自の単語や話法を維持してきた。もちろん、私たちが行けば標準語で話してくれる。標準韓国語と済州島言葉の関係は、標準日本語と琉球語の関係と似ているという人も多い。
前置きが長くなってしまったが、私がドラマの視聴に挫折したのは、この済州島言葉のせいだった。意味はわかるのだが、文字で書きおこせない。私は後の仕事のために、ドラマや映画を見ながら、印象に残った台詞をノートにメモ書きするのだが、『私たちのブルース』ではそれができなかった。若い世代の言葉は大丈夫なのだが、このドラマには高齢世代も登場する。なかでも海女のリーダー、チュニおばさん役のコ・ドゥシムは済州島出身であり、彼女の早口の台詞はもう完全にお手上げだった。
「戻して見たい」
思わず、テレビのリモコンをつかんだが、正規放送ではそれもかなわない。後から配信で見るしかないなと、オンタイムでの視聴を断念したのである。
コ・ドゥシムは長らく韓国で「国民のお母さん」とも呼ばれてきた大女優だ。1951年済州島生まれ、済州島女子高校を卒業後、MBCテレビのタレント公募に合格してデビューした。済州島が舞台の『私たちのブルース』で、コ・ドゥシムは唯一の済州島出身、ネイティブ・スピーカーである。
「他の俳優さんたちが方言に苦労した中で、そこは楽だったのではないですか?」
朝の情報番組でゲスト出演した彼女に、司会者はそんな質問をした。
「でもキャストの中で済州島出身者は私だけ、本気を出したら浮いてしまうから、そこはちょっと手加減したんです」
なるほどチュニおばさんは、あれでもやはり他の共演者のためにわかりやすく話していたのだ。