教師の内申書に怯え上位者に忖度し始める中学生
自分に不利な情報を内申書に書かれたことで、希望する高校に進学できなかったらどうしよう。そうなってから後悔しても遅い。そんな風に萎縮する中学生が多かったとしても不思議はありません。自分の内申書にどんなことを書かれたのか、生徒は知ることができないからです。教師が自分に対して不当に低い評価を書いたとしても、抗議する手段はありません。
私は当時、中学三年になって「登校拒否」の態度をとり、ほとんど学校には行かなかったので、内申書に教師が何を書くかなど気にしていません(たぶん悪く書かれるだろうと確信していたため)でしたが、同級生の中には、小学校では元気ハツラツとした面白い子どもだったのに、中学では内申書を気にしてどんどん「面白みのない生徒」に変わってしまった友だちもいて、残念だなと思いました。
数年前から日本の社会でよく使われるようになった「忖度」という言葉は、内申書を恐れて教師の顔色をうかがうようになった中学時代の同級生を連想させます。
忖度とは、本来は「国民全体の奉仕者」であるはずの国家公務員、特に霞が関の省庁に勤務するエリート官僚が、国民ではなく時の総理大臣や内閣の顔色をうかがい、明確な指示や命令を受けてもいないのに、総理大臣や内閣の意に沿うような行動を自発的にとる現象を指して使われ始めた言葉です。
個人の主張は捨てて集団に同調せよ、と命じている
日本の官僚は、第二次安倍政権時代の2014年5月30日に設置された、内閣官房の内部部局「内閣人事局」によって人事考査がなされるようになり、時の総理大臣と内閣の意向が官僚人事に反映されるようになりました。この、官僚が総理大臣や内閣の意向にビクビクと怯える状況は、教師の内申書にビクビクと怯えていた中学生の姿と瓜二つです。
上位者によって下される評価が、あたかも「ブラックボックス」つまり不透明な箱に入った形で進められるなら、なるべく自分一人だけが目立たないよう「みんな」に埋没し、生殺与奪の権を握る上位者に逆らわずに従順であることが「安全策」になります。
先に紹介したような、「みんな」という漠然とした概念を一方的に都合良く定義した上で「みんなも我慢しているんだから、お前も我慢しろ」という詭弁を用いて、特定の物事についての我慢を強制するのも、同調圧力の一形態です。
お前は「みんな」という集団から爪弾きにされてもいいのか、という暗黙の脅しがそこには込められており、今後も「みんな」の中にいたいのなら、個人の主張は捨てて集団に同調せよ、と命じているのと、実質的には変わらない図式だからです。
文/山崎雅弘
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