同調圧力を無くすはずだった日本国憲法
1945年8月14日に、大日本帝国政府は連合国の降伏要求「ポツダム宣言」を受諾し(その事実を国民に伝える昭和天皇の録音演説、いわゆる「玉音放送」がラジオで流されたのは8月15日)、戦勝国による7年間の占領統治時代を経て、1952年4月28日に新たな価値観に基づく「日本国」として再スタートを切りました。
その「新たな価値観」とは、1946年11月3日に公布、1947年5月3日に施行された「日本国憲法」でした。大日本帝国時代の失敗を反省して作られたこの憲法の第十三条には、「すべて国民は、個人として尊重される」という文言が明記されました。
また、同調圧力という問題との関連で見ると、第十八条に「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」、第十九条に「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という文言があり、第二十一条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」、第三十一条には「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」との内容が記されています。
これらを考えれば、戦後の日本は昭和期の大日本帝国に比べれば、同調圧力で国民の心理が圧迫される心配は大きく減少するはずでした。
しかし、そのようにはなりませんでした。
国民相互が自発的に統制し合うやり方が「好き」
二十一世紀に入った現在もなお、日本社会には多くの同調圧力が存在しており、近い将来にそれらが解消されるという見込みも、今の時点では立たないようです。
日本は敗戦後、帝国という全体主義から民主主義の国に変化したはずなのに、なぜか同調圧力で人々の精神的自由を圧迫する現象は、根強く残っている様子です。
時代が二十一世紀に入り、生活を取り巻くテクノロジーが大きく発展しても、同調圧力という「村の掟」のような精神的支配の枠組みが、いつまでも社会の中心部に居座っています。
なんでそんなことになるのでしょうか?
その理由を一言で説明するなら、日本人の多くは現在もなお、同調圧力という国民相互が自発的に統制し合うやり方が「好き」だから、ではないでしょうか。